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北海道の文学碑

1886年(明治19年)2月20日
岩手県南岩手郡日戸村(現・盛岡市玉山区日戸)の曹洞宗日照山常光寺の住職、石川一禎の長男として生まれる。
「一(はじめ)」 兄弟は長姉サダ、次姉トラ、妹光子。

石川啄木と函館
明治40年5月から9月にかけての僅か132日間

1907年 明治40年5月5日 満21歳
石川啄木−函館の旅
啄木の9歳年上の次姉トラの夫、山本千三郎は鉄道員で、日本鉄道から北海道鉄道に転勤。
北海道では余市駅長、小樽駅長、函館駅長、岩見沢駅長を歴任した。
啄木がはじめて北海道に足跡を残したのは明治37年9月30日で、当時小樽中央駅駅長であった山本千三郎を訪ねた。
妹と共に、午前9時函館に上陸する。
6月11日 区立弥生尋常小学校代用教員となる
7月7日 新居を構える。 一家5人(啄木、妻節子、娘京子、母カツ、妹光子)となる。
6月11日 苜蓿社同人の吉野の世話で、函館区立弥生尋常小学校代用教員となる。
8月18日 東浜町32番地(現:末広町23番21号)の苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)函館日日新聞の遊軍記者となる。
苜蓿社が啄木に原稿を依頼したのがきっかけ。
苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)同人の宮崎郁雨(後に啄木の妻の妹ふき子と結婚し、義弟となる)の紹介で函館日日新聞社
8月18日〜25日(在籍8日間)月給15円(1円は現在の1万円)
8月25日 東川町から出火、函館の2/3を焼き、函館日日新聞社も弥生尋常小学校も焼失する。
啄木の家は焼失を免れる。札幌の向井永太郎の斡旋で北門新報の校正係となることが決まる

石川啄木 潮かをる北の浜辺の
砂山のかの浜薔薇よ今年も咲けるや


大森浜 啄木小公園

東京・函館ー啄木家のその後
明治45年4月13日 午前9時30分、死去。死因は、肺結核
最後をみとった者は、妻節子(妊娠8カ月)の他、父一禎と友人の若山牧水とであった
金田一京助もいたが出かけた後だった。
享年26歳1カ月。

9月4日 節子は、京子・房江の二人の遺児を連れて、当時は函館に移住していた実家に帰り、
借家生活(青柳町32番地)を始めたが、翌年の1913年(大正2年)5月5日、肺結核。
享年26歳6カ月。   
 
石川啄木一族の墓
石川啄木の碑
立待岬へとつづく坂道の両側にある共同墓地。
その海側の一角にあるのが、石川啄木一族の墓地。
わずか1年の北海道漂白でしかなかったのに、
啄木の歌碑は広く解釈して40基。
全国では150基を超えるが、故郷岩手の約80基に次いで多い。
21歳の啄木が「石をもて追わるる如く」渋民村をあとに
「新運命を北海の岸に開拓せん」との決意を抱いて
函館の人となった「死ぬときは函館に・・・」の遺言に従って

友人宮崎郁雨によって大正2年6月、浅草からこの地に移されました。生前は一家離散の憂き目をみたが
「家族を離れたくないのだ」と語った啄木。
啄木書簡之一節
これは嘘いつはりもなく正直尓言ふのだ、
「大丈夫だ、よし〜、
おれは死ぬ時は函館へ行って死ぬ」 
その時斯う思ったよ、何処で死
ぬかは元より解った事でないが、僕は矢張死ぬ
時は函館で死にたいやうに思ふ
君、僕はどうしても僕の思想が時代より一歩進ん
でゐるといふ自惚を此頃捨てる事が出来ない
明治四十三年十二月二十一日
東京市北郷弓町二の十八
石川啄木    郁雨兄
石川啄木一族の墓の碑
「東海の小島の磯の白浜に 
われ泣きぬれて 蟹とたわむる」(これは自筆)

樺太の北緯50度に建った日露境界線の形を模している
宮崎郁雨は「函館の砂」の中で「蟹とは彼が泣きながら取り組んでいた彼の個性であり、自我であり、文学であった。その蟹は本物の蟹と同じで彼の人生行路では横ばいし続けていた。」と評している。
宮崎郁雨により大正15年8月1日に建立
旧アメリカ領事館跡
古い弥生小学校
現在の弥生小学校ではなく古い校舎の弥生小学校
旧アメリカ領事館跡
啄木が勤めていた学校と同じかどうかは確かではない。

石川啄木居住地跡

石川啄木居住地跡

(青柳町現在15番5号)
石川啄木文学碑
一握の砂
砂山の砂に腹這ひ初恋の/いたみを遠く思ひ出づる日

石川啄木文学碑
啄木公園隣接 「啄木浪漫館」


函館日日新聞跡地(末広町23番21号)
石川啄木文学碑 函館の青柳町こそかなしけれ・友の恋歌・矢車の花

ライオンズクラブの説明によると「全国に点在する歌詞の中でも
一番素晴らしい。

自筆を拡大したもの。
石川啄木の歌碑
薄幸の詩人、石川啄木が函館に逗留した/のは、明治四十年五月から九月にかけての/僅か百三十二日間にすぎない。
この間、文/芸同人苜蓿社の盟友に囲まれ、文学を論じ、/人生を語り心安らぎつつも、自らの若さと/夢を思い悲しんだ。
この歌碑は、青春のあしあと、啄木の青/柳町時代を記念して建立された。

函館巴ライオンズクラブ

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