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与謝野晶子〜有島武郎に。おどろきと喜びは世の限り 忘れえぬもの 晶子はこの手紙で、目の前でお姿をみたときの驚きと喜びは世の限り忘れえないものになりました、 お返事を頂かなくても私の心は満ち足りています、と武郎に告白している。 五年前に妻を亡くした武郎はこれより数ヶ月前、晶子の愛の歌の中にいつか自分も 詠まれるのではないかと期待してはいけないはずなのに期待してしまう、と書き送っていた。 晶子は大正八年に与謝野寛との十三人目のこどもを産み、 家計を支えながら創作活動を続けていたが、大正十年の文化学院創設にさいして 一層親しくなった武郎の優しさに心を寄せていた。 しかし、武郎はこの手紙から二年後に「婦人公論」の美人編集者と心中する。 晶子は「君亡くて悲しと云ふをすこし超え苦しといはば人怪しまむ」と追悼歌を詠んでいる |
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与謝野晶子 |
詩人の与謝野晶子は、明治11年(1878)大阪に生まれました。家庭では11人の子の母、鉄幹の妻として大正、昭和の動乱期を生き抜いた. |
有島武郎様 かの日の偶然が近き目のまへにお姿をおき候ときのおどろきと喜びは世の限り忘れえぬものとなり候。しかも直ちに御別れいたし下車いたし候とき、心にかつて御本にて教えられし つつましき本能生活とはこれぞと思いしことに候。 さてその日の御かほ色すぐれさせられず拝みし候ひしかば御心地いかがおはしますらんとお案じいたし候。お大事に遊ばすべく候。 昨日おさしつかへのおあり遊ばれたし ことは一週の間、その日のことなく御会ひいたされ候やうとの心づくしすべき ことと身のあはれになり候。 先日の手紙にあなた様を路傍の人と申し候ひは、唯だあなた様の立場より あなた様になりて申せしことにてお心安くおはしませといふことばに候。 おこころにおかけ下さるまじく候。 私より見て何と申すべきことか今は知らずに候。 私はときときに火曜の朝といふ時に文かかせ頂くべく、あなた様より 何と仰せ下さらず候とも私は心足らひ居り候。 晶子 |
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