私の小さな旅 北海道の文学碑と歴史に戻ります北海道の文学碑のトップに戻ります


北海道の文学碑

静岡、山梨の文学碑(2013年1月)

山梨県河口湖の文学碑
閉館していて中に入ることができませんでした。
(平成25年1月15日)回りは雪でした。
徳富蘇峰 徳富蘇峰館
1863(文久3)年1月25日、徳富蘇峰(猪一郎)は熊本県に生まれた。
明治から昭和時代の証言者、新聞人として95年の生涯を閉じるまで
執筆活動を続けた。
幼少の頃から私塾で漢学を学んだ蘇峰は同志社へ進み、
恩師新島襄と出会う。
明治15年(20歳)には大江義塾を開くが4年後閉鎖。
その後上京、民友社を創立し、明治20年「国民之友」、23年「国民新聞」を創刊。
平民主義を掲げて藩閥政治を非難し、
明治中期における指導的役割を果たした。

河口湖の文学公園
谷崎純一郎文学碑(2013・1月) 遊歩道になっているところを歩いていかなくてはならず。
足の悪い私のために撮ってきてくれました。
谷崎純一郎 谷崎純一郎
谷崎純一郎
「何処か日本の国でない遠い所へ来たような気がしたが、
それは眼に訴える山の形や水の色が変っているからと云うよりは、
むしろ触覚に訴える空気の肌ざわりのせいであった。
彼女は清冽な湖水の底にでも居るように感じ、
炭酸水を喫するような心持であたりの空気を胸一杯吸った」
「細雪」の一節である。谷崎の直筆である。
谷崎純一郎
熱海 金色夜叉 「お宮の松」
金色夜叉(こんじきやしゃ) 金色夜叉(こんじきやしゃ)
金色夜叉(こんじきやしゃ)は、尾崎紅葉が書いた明治時代の代表的な小説。
読売新聞に1897年(明治30年)1月1日 - 1902年5月11日まで連載された。
創作中に作者が逝去したため未完成である。昭和に入って、度々、映画、ドラマ化されるようになった。

追いかけて許しを乞うお宮を貫一が蹴り飛ばす、熱海での場面は有名である。

一高の学生の間貫一(はざま かんいち)の許婚であるお宮(鴫沢宮、しぎさわ みや)は、
結婚を間近にして、富豪の富山唯継のところへ嫁ぐ。それに激怒した貫一は、熱海で宮を問い詰めるが、
宮は本心を明かさない。貫一は宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高利貸しになる。
一方、お宮も幸せに暮らせずにいた。

熱海サンビーチ「お宮の松」(静岡県熱海市) 追いかけて許しを乞うお宮を
貫一が下駄で蹴り飛ばす場面が銅像になっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%89%B2%E5%A4%9C%E5%8F%89

私の小さな旅 北海道の文学碑と歴史に戻ります北海道の文学碑のトップに戻ります