芭蕉記念館
松尾 芭蕉は江戸時代前期の俳諧師である。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。 俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖と呼ばれる。 芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸の深川から舟に乗り、 隅田川をさかのぼって千住でおり、東北に向った。 芭蕉らの一日、平均の歩行距離は30キロ。 芭蕉は、延宝8年(1680)それまでの宗匠生活を捨てて江戸日本橋から深川の草庵に移り住みました。 |
史跡庭園・芭蕉像 |
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芭蕉、石の蛙 |
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記念館入口の句碑 草の戸も住み替る代ぞひなの家 (元禄2年吟) |
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ふる池や蛙飛こむ水の音 (貞享3年吟) |
川上とこの川下や月の友 (元禄6年吟) |