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芭蕉記念館

松尾 芭蕉は江戸時代前期の俳諧師である。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。
俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖と呼ばれる。

芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸の深川から舟に乗り、
隅田川をさかのぼって千住でおり、東北に向った。
芭蕉らの一日、平均の歩行距離は30キロ。

芭蕉は、延宝8年(1680)それまでの宗匠生活を捨てて江戸日本橋から深川の草庵に移り住みました。
そして、この庵を拠点に新しい俳諧活動を展開し、多くの名句や『おくのほそ道』などの紀行文を残しています。
この草庵は、門人から贈られた芭蕉の株が生い茂ったところから「芭蕉庵」と呼ばれ、
芭蕉没後、武家屋敷内に取り込まれて保存されましたが、幕末から明治にかけて消失しました。
大正6年(1917)の大津波の後、常盤一丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、
同10年に東京府は、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。
江東区は、このゆかりの地に、松尾芭蕉の業績を顕彰するため、昭和56年(1981)4月19日に芭蕉記念館を、
平成7年(1995)4月6日に隅田川と小名木川に隣接する地に芭蕉記念館分館を開館しました。
http://www.kcf.or.jp/basyo/about.htmlより引用させて頂きました。
芭蕉記念館
〒135-0006 東京都江東区常盤1-6-3

史跡庭園・芭蕉像
史跡庭園・芭蕉像
史跡庭園・芭蕉像
芭蕉記念館 芭蕉の石の蛙
芭蕉、石の蛙
芭蕉の句
記念館入口の句碑
草の戸も住み替る代ぞひなの家 (元禄2年吟)
芭蕉記念館
芭蕉記念館
芭蕉記念館
芭蕉の句
ふる池や蛙飛こむ水の音 (貞享3年吟)
芭蕉の句
川上とこの川下や月の友 (元禄6年吟)

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