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北海道の文学碑

空知川流域 滝川から芦別・富良野まで
富良野国道
ルート38

星のふるまち 芦別
葛西善三文学碑
「雪をんな」
 ・・・積もった雪は股を埋めた。吹雪は闇を怒り、吠え狂った。そしてまたゲラゲラと笑った。 「どうぞお願いでございます。ちょっとの間この子を抱いてやって下さい」 この時、この世ならぬ美しさの、真白な姿の雪をんなは、 細い声をしてこう言って自分に取りすがった(小説「雪をんな」の一説より)
葛西善蔵文学碑
芦別市新城町 夫婦滝公園
昭和61年6月21日建立。
碑文揮毫は当時の芦別市長細谷徹乃助
葛西善蔵は明治20年弘前市生まれ 。
若くして渡道し明治37年冬この新城の山中で鉄道枕材採のために働き、下山の途中吹雪の中でみた
「雪をんな」の幻想を後年小説として書いた。
稼業没落のために3歳のときに後志の寿都に移住する。やがて上京したけれども志を得ず、帰ってくる。やがて営林署の人夫になったり新十津川で行商もしている。また室蘭で道路請負の人夫をして38年に再び上京。大正元年・北海道での回想をもとにした小説「悪魔」などで文壇に登場する。喀血して41歳で死亡。アル中の文学で毎日一升も飲んでいた。
葛西は酔ってイヌのマネをするのが得意だった。
酸素吸入を当てられると、拒否して酒を飲ませてくれと言った。それから「いよいよ臨終だ。死の床を飾るんだ」と飲み始めた。最後の言葉が「切符・切符」であった。
近所の酒屋には酒代が現代のお金で数百万にのぼっていた

葛西善三文学碑
(芦別市新城町から走ること5キロ。
どうしてこんな所に文学碑があるのか?って思えるような
場所にあった。周りは水田で皆・働いている。
一車線しかない山道を登る。きのこ取りにきてるのだろか?
ワゴン車が車が交差できるように待っていてくれる。)
細谷徹乃助文学碑

夏深むうぐひす橋の朝靄に
群れて餌を待つ水どりのこえ


細谷徹之助文学碑
芦別市 上芦別公園
佐藤晴生文学碑
この径の限り湖光と若葉風

佐藤晴生文学碑
西村一平文学碑 かんこ鳥サビタの花を帽にさし
湖畔のみちをのぼるとき啼く


西村一平文学碑
芦別市 上芦別公園
昭和46年10月9日建立

与謝野寛はつねに「古の啄木、今の一平」と
高く評価していたという。

明治44年12月10日金沢市生まれ。
山口青邨文学碑 たんぽぽの咲きつづきつつ北の国

山口青邨文学碑 (やまぐちせいそん)
芦別市 上芦別公園
昭和26年7月29日建立 直筆
大正5(1916)年東京大学工学部卒業、工学博士・東大名誉教授。大正11(1922)年に高浜虚子に入門。
水原秋桜子、高野素十らと東大俳句会を興して、昭和4(1929)年、高浜虚子が正岡子規の「山会」を復活したのを契機に、水原秋桜子らと入会。63年12月15日、死去

咲きみちて 庭盛り上がる 桜草 (覚えておきたい名句)
桜草が、いっせいに咲いて、庭全体が盛り上がっているように見える。
この文学碑を探したけれど見つからなくて芦別の市役所にお願いして頂きました。有難うございました。(管理人)
富良野市
小田観蛍文学碑
十勝岳火は生くかぎり絶えせねば  
けはしき道もわれはゆくべし

小田観蛍文学碑
富良野市 鳥沼公園
富良野市教育委員会で立てた歌碑解説には大正4年太田水穂の
「潮音」創刊に参画し、没年まで選者として活躍する。
昭和5年「新墾」を創刊し主宰となる。明治42年下富良野尋常小学校に教員として赴任し、大正5年には鳥沼尋常小学校の訓導兼校長となり、大正14年小樽に転住するまで17年間、富良野で短歌の創作活動を続けた。
明治44年教員仲間3人で十勝岳にて遭難騒ぎを起こす。
山名薫人(やまなくんじん)文学碑 この谷の底ひに冷ゆる陽のいろの  
青白くしてこぶし咲くなり


山名薫人(やまなくんじん)文学碑
南富良野町 かなやま湖展望台(いきどまり) 
昭和54年9月3日建立

山名薫人
明治31年1月1日香川生まれ
昭和48年没
三浦綾子文学碑
じっちゃん 山津波だーっ 早く山さ逃げれーっ」
 「ドドーン」「ドドーン」 大音響を山にこだましながら 
見る間に山津波は眼下に押し迫り、三人の姿を呑みこんだ。
拓一と耕作は呆然と丈余の泥流が、釜の中の湯のよう沸り、躍り、狂い、山裾の木を根こそぎ抉る。バリバリと音を立てて、木々が次々と濁流の中に落ちこんでいく。
樹皮も枝も剥がし取られた何百何千の木が、とんぼ
返りを打って上から流れてくる。と、瞬間に泥流は
二丈三丈とせり上って山合いを埋め尽くす。
家が流れる。馬が流れる。鶏が流れる。
人が浮き沈む。  「泥流地帯」より
三浦綾子文学碑
上富良野町 開拓記念館隣草分神社 
昭和59年5月24日建立
直筆
大正11年旭川市生まれ 平成11年歿
大正15年5月27日十勝岳の爆発
死者123人行方不明21人
更科源蔵文学碑
水色のふるさと
ここにふるさとがあった  
肩を組んで毎日通った道があった
たんぽぽのさく道はポプラの陰を通り 
たのしいざわめきの満ちた学校と 
遠い思い出とにつながっている
今ひたひたと小波よせるこの湖の底に
 
朝つゆにぬれた小鳥の巣と 
家畜たちの身ぶるいと虫のすだきと
豆の花ねむる夕ぐれがあり 
幼い夢と希望と口笛と
母のともしびがあった
今は銀色の魚の泳ぐこの水底に

光のみちた 水は今
思い出と四季をうつして静かである
水よ 古里を抱いてはなさぬ水よ
新しくはじまる大地の歴史の上に
うるおいとなり花となり灯となれよ
ふるさとの水よ 鹿越の湖よ 
 

更科源蔵文学碑
南富良野町金山湖畔(ラベンダ−畑)

「北の国」からに始まって富良野は倉本聰氏による文学の世界でいっぱい。
「やっぱり故郷は富良野だ。回り道して東京に育ったが、やっと戻れた故郷である」と語る

富良野小学校校庭北海道の中心 ヘソに当たる 富良野小学校校庭

北の国から
北の国から「石の家」
北の国から
「北の国から」
風のガーデンロケ地風のガーデンロケ地
風のガーデンロケ地
北の国から
物がこんなに捨てられていくならオイラ拾ってきて生き返らせてやる!
北の国から
(北の国から)

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