私の小さな旅 北海道の文学碑と歴史に戻ります北海道の文学碑のトップに戻ります



太宰治   三鷹市

太宰治生誕100年(2009.08.06)雨
早くから暗くなって菩提寺の禅林寺には行けなかった。
太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)
本名は津島修治(つしましゅうじ)。

1933年(昭和8年)より小説の発表を始め、1935年(昭和10年)に「逆行」が第1回芥川賞候補となる。
主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』など。
諧謔的、破滅的な作風で、坂口安吾、石川淳などともに新戯作派、無頼派とも称された。
大学時代より自殺未遂、心中未遂を繰り返し、1948年(昭和23年)玉川上水にて山崎富栄とともに入水した。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BBより引用)

三鷹市HPより(http://www.city.mitaka.tokyo.jp/dazai/dazaitomitaka/nenpu.html)

太宰治は、1939(昭和14)年9月から亡くなる1948(昭和23)年6月まで三鷹で暮らした。

太宰治文学サロン
伊勢元酒店跡(下連雀3-16-14 グランジャルダン三鷹1F)
太宰治文学サロン
玉鹿石
玉鹿石
太宰を偲んで、故郷、青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を石碑としました。このあたりの玉川上水で、太宰は入水しました。
千草
千草跡(下連雀3-24-3)
1947(昭和22)年7月から小料理屋千草の2階も仕事場にしていました。
井心亭
井心亭
太宰治旧宅跡
1939(昭和14)年9月から亡くなる1948(昭和23)年6月まで、疎開の一時期を除き、住んでいました。同じ造りの平屋の借家が3軒並んでいました。すべて建て替えられ、路地だけが残っています
野川家跡
野川家跡(下連雀3-15-15 イル・デ・パン1F)
永塚葬儀社
山崎富栄と親しくなった1947(昭和22)年9月頃から、彼女の下宿先の野川家2階も仕事場にしていました。太宰最後の日、ここから2人で玉川上水へ向かいます。

井心亭 平成30年8月さるすべり
ひろさんから頂きました。

サルスベリ
さるすべりの木
井心亭(百日紅)(下連雀2-14-7)
市の和風文化施設です。すぐ近くの太宰治旧宅の「玄関の前の百日紅」(「おさん」)が庭に移植されています。
当時は同じ造りの借家が3軒並んでいたという太宰治の旧宅。その3軒のうち奥が一番住心地がよかろうという理由で、通りから少し入ったことろに住んでいました。12坪ほどの小さな家でしたが、新築のすがすがしさと日当たりの良さは、太宰に新しい作家生活を与えたと言われています。
それをそっと見守っていたのが庭先に植わっていたこの百日紅(さるすべり)の木です。太宰が他界し、その後借家が全て取り壊される時にすぐ近くの「みたか井心亭」の庭に移植されました。「みたか井心亭」は直接、太宰治との接点はありませんが、純和風の数寄屋造りの施設で、申請をすれば茶室などを利用できる施設です。


私の小さな旅 北海道の文学碑と歴史に戻ります北海道の文学碑のトップに戻ります