私の小さな旅 北海道の文学碑と歴史に戻ります戦国の女たち、はじめに戻ります

池田家の女たち

名 前 どんな女(人)だったか?
養徳院 信長の乳母にかけた人生。
岐阜県池田町の出身で跡取りがなかっために滝川恒利(つねとし)を婿に迎える。尾張にて22歳で長男・信輝を産む。信長の乳母となるが二年後に夫を亡くす。わが子を預けて乳母として生きる。やがて信輝が10歳になると信長の遊び相手に召しだされる。信輝は親の愛情を知らないだけに気性が激げしく、問題もおこしたが信長が最初の戦いには参戦する。
信輝の妻 剥奪の末・夫殺しの男との生涯。
信長と信行は同じ土田御前を母にしながら、まったく性格が違った。信行が二度目の謀反をたくらんだために信輝が刺し殺した。信長はさらに夫を亡くして実家に帰る信行の妻を略奪した。信長は「そなたは22歳、あのものは20歳。お前の嫁にしろ」と言った。彼女はその時、信行の子供を身ごもっていたが、信輝の妻となり女の子を産む。信輝はその子を可愛がり、輝政・長政と池田家の未来を開く子供を産む。彼女の憎しみは消え、やがて犬山城に住む。信輝は「小牧・長久手の戦い」で亡くなり、養徳院とともに輝政を守り立て67歳で死去。
督姫 父・家康の威光で百万石
督姫は19歳の時に北条氏直に嫁いだ。だが小田原城を迫られて30歳で死去したので家康のもとに帰ってきた。北条家では男子を産めなかったが、輝政との間に督姫は5人の息子を産む。輝政は姫路城の所領を得て、「西国将軍」と呼ばれる。輝政は中風に苦しんで50歳で亡くなるが、池田家の家督は息子達が成人していなかったために、先妻絲(いと)の子である利隆が継ぐことになる。
絲姫 輝政が督姫を得た裏には、先妻絲との強引な離婚があり、絲の残した長子・利隆と、督姫母子たちとの間に、池田家の家督をめぐる争いが、輝政の死後に起きる。絲は「岐阜さま」と呼ばれていたが、利隆を産んでから、もの狂おしい状態になったために実家に帰る。中川清秀の長女だったが、父は賎ヶ岳の戦いで全滅した。
そして一方的に離婚される。