私の小さな旅、トップに戻ります 私の読書メモに戻ります

プラウザの「←戻るボタン」で戻り下さい

私の読書感想メモ

山田 風太郎 (著) あと千回の晩飯

内容(「MARC」データベースより)
「いろいろな徴候から晩飯を食うのもあと千回くらいなもの」-飄々とした書き出しから始まり、
独創と卓見にあふれる文章で死生観を語る。巧まざるユーモアと笑いと驚きに満ちた最新エッセイ集。

目次
あと千回の晩飯
風山房日記(アル中ハイマーの一日
私の夢判断
風老残散読記 ほか)
風来坊随筆(少年時代の読書
少年時代の映画
漱石の鴎外宛書簡 ほか)
あの世の辻から(死後の世界はあるか

山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2001年7月28日)は、日本の小説家。
本名は山田 誠也。兵庫県養父郡関宮町(現養父市)出身。多数の奇想天外な大衆小説と、エッセイで知られる。
また戦時中に書き記した日記は後年作品として世に出るが、記録文学の傑作との呼び声高く、著者の再評価にもつながった。
兵庫県立豊岡中学校を経て東京医科大学医学部卒業。

東京医大を卒業するが医者にはならず、作家としてデビューする。
江戸川乱歩らに推理作家として“戦後の五人作家”と呼ばれ、高木彬光らと人気を博するが昭和33年から
書き始めた忍法帖シリーズがベストセラーとなり、さらにその名を不動のものとした。
映画化も約20本に上り、日本中に風太郎ブームを起こした。
昭和46年に「戦中派不戦日記」や「戦中派虫けら日記」が出版されるや、純文学作家として新たな評価を得た。
昭和50年から明治ものといわれる作品を多く発表、テレビドラマ化・舞台化され、風太郎の評価はさらに高まった。
昭和61年頃より「人間臨終図巻(上・下)」「あと千回の晩飯」などエッセイ集でも多くのファンを魅了した。
長年の作家活動により平成9年第45回菊池寛賞を受賞し、平成12年には、第4回日本ミステリー文学大賞を受賞した。
しかし相次ぐ受賞の喜びもつかの間、平成13年7月28日永眠した。自らつけた戒名は「風々院風々風々居士」。
「風の墓」とのみ刻まれた墓碑が八王子市の川上霊園墓地に建つ。

http://www.fureai-net.tv/kazetarou/
最後の抵抗も空しく
萩原朔太郎−昭和17年風邪をひいて肺炎。
「シ−ツには布をひいてある。そこにするように言うのだが、お手洗いに連れていけというので
枯れ木よりも細い父の身体を抱きかかえて連れて行っても用をなさない。
そしてまた便意を訴えるのである」−萩原葉子