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私の読書感想メモ

吉村 昭【著】 死顔
◆ひとすじの煙◆二人◆山茶花◆クレイスロック号遭難◆死顔

生と死を凝視しつづけた作家が、兄の死を題材に自らの死生観を凝縮し、
死の直前まで推敲をつづけた短篇「死顔」。
死の静謐を期し、延命措置への違和が表明されている。
著者の最期とも符合する表題作など、全五篇の遺作小説集。

著者の闘病と原稿への執念、最期の刻を、夫人の津村節子氏がつづる「遺作について」を併録。

吉村昭[ヨシムラアキラ]
昭和2年(1927年)5月1日、東京日暮里に生まれる。
21歳の1948年1月5日に喀血し、同年9月17日、東京大学医学部附属病院分院にて胸郭成形手術を受けて、左胸部の肋骨5本を失う
平成18年7月31日、膵臓癌により病没。死を覚悟したその最期が報じられ、多くの人々の共感を呼んだ。
昭和41年、『星への旅』で太宰治賞を受賞。その後、ドキュメント作品に新境地を拓き、『戦艦武蔵』等で、
菊池寛賞を受ける。更に歴史小説にも力を注ぎ、多彩な長篇小説を次々に発表。
徹底した取材と緻密な構成には定評がある。私小説を軸に、短篇小説の秀作も多い。
2005年春、舌癌と宣告され、さらにPET検査により膵臓癌も発見され2006年2月には膵臓全摘の手術を受けた。
退院後も短篇の推敲を続けたが、新たな原稿依頼には応えられなかった。
同年7月30日夜、膵臓癌のため東京都三鷹市の自宅で療養中に看病していた長女に「死ぬよ」と告げ、
みずから点滴の管を抜き、次いで首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜き、
その数時間後、7月31日午前2時38分に逝去、享年79。
遺稿「死顔」は9月7日発売の『新潮』2006年10月号に掲載された。

葬儀は家族葬で3日間伏せて骨にすること。死顔は親戚にも見せないこと。


事物はじまりの物語
筑摩書房 (2005-01-25出版)

江戸から明治、人々は苦労して新しいものを取り入れ、初めてのものを作りだした。
歴史小説家が豊富な史料を駆使して書いたパイオニアたちのとっておきの物語。

解剖
スキー
石鹸
洋食
アイスクリーム

国旗
幼稚園
マッチ
電話
蚊帳・蚊取り線香
胃カメラ
万年筆

日の丸は、日の出をデザイン化したもので、古くから絵巻物などに描かれてきた。
例えば、古くは、戦国最強の大名と言われた甲斐の武田信玄や、徳川の世の礎を築いた家康が、
「日の丸」(赤丸)を軍扇等に使用したと言われていますし、
江戸時代には、幕府の御城米廻船(御用船)に「日の丸」の掲揚が義務づけられていました。
江戸時代初頭、朱印船に掲げられて以来、
日の丸は主にその船が日本のものである事を示すために使われた。


星への旅
出版社: 新潮社; 改版版 (1974/02)
平穏な日々のうちに次第に起こる倦怠と無気力感。そこから抜け出そうとしながら「死」という
言葉の奇妙な熱っぱさの中で、集団自殺を企てる少年たち。
死んだら星になるという。

月夜の魚
出版社: 中央公論社 (1990/09)

内容(「BOOK」データベースより)
人生の悲しみを癒すものは何なのだろう。祖母の死に遭遇した日から、人は死ぬ日に向って行列していると怯える小学2年生。
蛍のように短い生命を終えた少年。事業に失敗し、一家心中を選ぶ律儀な町工場主など。
さまざまな死の光景を描いてなお深い慰めを与える、短篇名作集。

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