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私の読書感想メモ

檀一雄

明治45年、山梨県に生れる幼少期を福岡県柳川市、その後、父が教師だったこともあって
、久留米市、福岡、東京の谷中、栃木の足利市(旧制足利中学)、福岡(旧制福岡高等学校)と転々とする。

東京帝国大学経済学部入学後に記した1935年の処女作『此家の性格』が周囲の注目を浴び、
同年、太宰治らと日本浪曼派に加わる。ほか、生涯師と仰いだ佐藤春夫との親交もこの頃から始まった。
太宰の死後坂口安吾とも交流があった。

代表作は、律子夫人との愛惜を描いた『リツ子 その愛』『リツ子 その死』、時代娯楽作も人気があり『真説石川五右衛門』
(1950年、第24回直木賞受賞)、『夕日と拳銃』など、また20年以上に渡り書き続けライフワークとなった『火宅の人』なお、
文学碑は、最晩年を過ごした福岡市能古島にある。
1976年1月2日、悪性肺腫瘍のため死去。享年63。

リツ子その愛・その死
全てをなげうち懸命に生の再建を目指す夫婦の姿を通し、裸形の魂の美しくも凄絶な昇天を捉えた昭和文学の記念碑的長編。
敗戦のあとさき、惑乱と混濁と窮乏の時代状況下、最愛の妻リツ子が結核に倒れた。
あどけない息子を抱え、看護、食料調達、借銭、医者探しに奔走する夫。救いを求める魂の叫びも病魔には届かず、
リツ子はしだいに衰弱の度を深めてゆく……。
全てをむしりとられ、全てをなげうって懸命に生の再建を目指す夫婦の姿を通し、裸形の魂の美しくも凄絶な昇天を捉えた
昭和文学の記念碑的長編。

放浪への衝動にかられる。
太宰ー太宰とは酔ってガス管を加えたこともある。天才だと認めていた。
坂口安吾ー薬物で脅迫観念になり最後には乱心状態にもなった。
いつもあらゆる家庭の傍観者であった。

檀流クッキング

「この地上で、私は買い出しほど、好きな仕事はない」という著者は、文壇随一の名コック。
日本はおろか、世界中の市場を買いあさり、材料を生かした豪快な料理九十二種を紹介する“美味求真”の快著。

春から夏へ(カツオのたたき;具入り肉チマキ ほか)
夏から秋へ(柿の葉ずし;インロウ漬け ほか)
秋から冬へ(鶏の白蒸し(白切鶏)
オクラのおろし和え ほか)
冬から春へ(タイ茶漬;アンコウ鍋 ほか)

盟友を破滅された狂気から己を守る手段でもあった料理。

火宅の人
旅を愛し、酒を愛し、女を愛し、自由放奔に生きる男の壮大な浪漫と、その男を巡って巻き起こる様々な人間模様の切なさをみごとに描写。
妻と5人の子供を持つ主人公、桂一雄の、新劇女優恵子との情痴と、行きずりの女葉子とのあてのない旅を通して、
男の欲望と優しさが生々しく描かれた作品だ。
火宅」とは「三界無安、猶如火宅」という「法華経」の言葉からとったもので、煩悩と苦しみに満ちたこの世を、
火に焼けている家にたとえていったものです。
完成まで15年かかる。最終章は病床で書いた。