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私の読書感想メモ

鈴木 朝子【文】 百六歳のでゃあこうぶつ―きんさんぎんさんの長寿の食事
毎日新聞社 (1999-03-30出版)

きんさんは何を好んで食べてきたのか?まぐろ、海苔、りんご汁から「三種の神器」までそしてわかったことは―。
今日からできるきんさんの食事術。

きんさんの食事の心得
春/きんさんの食ごよみ
ある夏の一日
夏/きんさんの食ごよみ
きんさんぎんさんの誕生日
定番のでゃあこうぶつ
暑い夏が過ぎようやく涼しくなってきました
秋/きんさんの食ごよみ
きんさんぎんさん新幹線に乗る
冬/きんさんの食ごよみ
きんさんの元気のもと
長寿を支えきんさんの幸せ作るお嫁さん

たまねぎ、にんにく、を利用した料理。
魚の煮汁で野菜をにる。
おかゆと一緒にまぐろ4キレを週に5日
煮魚、
お粥−一日、一合の白米を土鍋でたいている。七分目にして必ず一口残す。のり。
湯豆腐−しめじ+ホウレンソウ
梅干−毎日一個
りんご汁−人参+りんご(毎日夜)
成田きんさんが2000年1月23日午前11時3分、心不全のため名古屋市南区の自宅で死去した。107歳だった。「

明治43年にきんさんが、3年後にぎんさんが結婚し、家を離れそれぞれの道を歩み始める事になる。しかし、それは苦難の始まりだった。きんさんもぎんさんも、子供は産まれるもののみんな女の子ばかり、姑から跡継ぎを産めと責め立てられる。

「そりゃあ悲しかったよ。自分のお腹を痛めた子が死んじまうんだもん。でもオイオイと泣いていられなんだ。泣いとる暇があったら、畑に出て働けと言われた。」 きんさんは、やっとの事で跡継ぎが誕生するが、今度は長女、三女、六女が次々と命を落とすという苦しみに遭うことになる。
数日前から風邪をこじらせ、この日朝「(食事は)まだええ。もう少し寝る」と答えたのが最後の言葉だった。

1892年(明治25年)8月1日、現在の名古屋市緑区鳴海町の農業矢野熊吉さん、ゆかさん夫婦の間に、ぎんさんとともに誕生。7人兄弟の長女で妹3人、弟3人。1910年に18歳で農業成田良吉さん(1949年=昭和24年=死去、享年67)と結婚。男4人、女7人の計11人の子供を出産(うち女4人は出生間もなく死去)。現在、孫が11人(内孫2人、外孫9人)、ひ孫7人、やしゃごが1人いる。プロレスと相撲観戦が好きだった。身長約130センチ、体重約30キロ。血液型O。
きんさん語録
 ・ 「金もうけのためにやるのはやじゃ。福祉に生かすのなら」
(世間の注目を集めるようになったCM「カタログハウスの通販生活」「ダスキン」の出演条件について)
・「何億積まれてもわしゃ脱がん」(宮沢りえのヌード写真集の話題に答え)
・ 「くよくよせずに、嫌なこともいいことも忘れることが長寿の秘けつ。100年生きてきて、今が一番幸せ」(日本テレビ「追跡」で100回目の正月を迎えた感想)
・「お恥ずかしい。遠慮しときます」(国会で国民栄誉賞が話題になったことに関して)
・「100年は短かった」(満100歳の誕生日に)
・ 「年はいくつになったかね、役場に行って聞いてこな、忘れちゃった」(満106歳の誕生日前の感想)
・ 「今はよくなりましたよ。昔は戦争もあって、それこそ大変でした。みなさんで力を合わせて『景気はええ、景気はええ』と言っていれば、商売をやっている人に通じて景気はよくなりますよ」
・ 「やっぱりうちがええ。早くぎんさんに会いたいねえ」(胃かいようで入院後、16日ぶりに帰宅して)

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