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私の読書感想メモ

曽野 綾子 (著) 戒老録―自らの救いのために ノン・ポシェット

内容(「BOOK」データベースより)
あるがままの自分でいい。本書は、「戒老録」を著者自ら整理し加筆した完本である。
目次
1 きびしさによる救済(他人が「くれる」ことを期待してはいけない
してもらうのは当然、と思わぬこと
自分でできぬことは、まず諦めること ほか)
2 生のさなかで(ひとりで遊ぶ癖をつけること
孫が老人を無視することがあっても、深刻に思うことはない
孫の守りをしてやること。そして恩にきせぬこと ほか)
3 死と馴れ親しむ(若いうちから、楽しかったことをよく記憶しておくこと
老いと死を、日常生活の中で、ちょくちょく考えること
長生きに耐えられるかどうかを考えておくこと ほか)

管理人メモ
他人が、何かを「くれる」こと、「してくれること」 を期待してはいけない。
老人の愚痴は他人も自分も惨めになる。言い出すととめどがなくなる。
明るくすること。心の中はそうでなくても、外見だけ でも明るくすること
生活の淋しさは、誰にも救えない。
自分で解決しょうとする時に、手助けをしてくれる人はあるだろうが、
根本は、あくまで自分で自分を救済するほかはない


曽野綾子[ソノアヤコ]
東京生まれ。1954年、聖心女子大学英文科卒業。79年、ローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章受章。
93年、日本芸術院章・恩賜章受章。97年、海外邦人宣教者活動援助講演会代表として吉川英治文学賞ならびに読売国際協力賞を受賞。
98年、財界賞特別賞受賞。日本芸術院・会員、海外邦人宣教者活動援助後援会・代表、
日本文芸協会・理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

  続 誰のために愛するのか

だらけた肉体に慄然となる時
心に張りのない人の肉体は信じられないほど弛緩している
後姿がその人の本当の年齢よりも10歳もふけて見える
背骨にも手足にも必死で生きているという意志の緊張がない。
小学生の6年生のとき、母とあたしは死ぬために熱海に行った
「水だけ飲んでじっとしていればあまり苦しまずに死ねるわよ」
3日目の朝私は母に私達が生きることを承認させた。

落葉の声
アウシュビッツのコルベ神父の最期を描いた。
酸たる幸福しか恵まれない人生をそのまま受け取ることしかできないのだ。

人生の後半をひとりで生きる言葉
イースト・プレス (2007-12-05出版)

家族や親しい人との死別や離別、定年退職による組織からの離脱などで人は誰でも最後は、ひとりになる。
ひとりで生きて、そしてひとりで死んでいく。
中年以降、誰もが辿る道を、生ききるための言葉のメッセージ。

ひとりで生きる
人生の後半を生きる
別離を生きる
減らして生きる
定年後を生きる
病気と生きる
老いながら生きる
晩年を生きる
運命を生きる

三浦朱門と結婚。以後、次々に作品を発表。30代で不眠症、うつ病に苦しむが、無事乗り切り危機を脱する。
最悪を予想しながら生きてきた。
誰もいない後半生を自分が生きる道を私はいつも一人で想像してきた。
車椅子の生活になっている自分。
視力が衰えて見えない自分。お金のない。難病を抱えている自分を想像してきた。
生きていれば家族の誰かが支えてくれるかもしれないが、それは当然なことではなく
ごく稀な幸運である。
50歳前後に視力を失いかけた。残り時間があまり長くなくてすむ。
生も一人。死も一人。
そういう運命になったときに、別に自分だけが不幸なのではないと自分に言い聞かせる叡智。
内面はどうであれ、残された時間を明るく過ごす。

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