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私の読書感想メモ

新創社編・京都時代MAP 幕末・維新編 NO1

内容(「MARC」データベースより)

京都の大路小路は坂本竜馬や新選組が駆け抜け、戦国時代には織田信長が行進し、
室町時代には足利尊氏が走った路です。
史跡を時代毎に区切り、各時代の古地図と現代地図を重ね合わせて
見られるよう工夫した地図。幕末・維新編。
幕末・維新の事件現場を歩く(幕末・維新の事件現場を歩く
池田屋騒動
禁門の変
龍馬暗殺
鳥羽・伏見の戦い
風雲新選組)
龍馬暗殺 午後3時から5時−龍馬は午後3時と5時、近江屋の3軒両隣にある福岡孝弟を尋ねたが留守だった。
関係者の行動 夕方−中岡慎太郎「菊屋」を訪問
中岡は以前の下宿先だった「菊屋」に行って「薩摩屋」に手紙を届けるように同店の息子峰吉に頼んだ
龍馬暗殺 夕方−中岡慎太郎、谷千城(たにたてき)を尋ねる
「菊屋」をでて谷千城(たにたてき)の家に行ったが留守だったので龍馬のいる近江屋へ向かった
龍馬暗殺 午後7時ころ
峰吉・岡本健三郎「近江屋」へ
龍馬と中岡が話しているところに岡本と手紙を届け終わった峰吉が加わる
龍馬暗殺 午後9時 峰吉、シャモを買いに外出
龍馬が{シャモでも食おう」と言い出したので峰吉はシャモを買いに「鳥新」にでかける。
岡本もよそに行くために一緒に出る
龍馬暗殺 午後9時過ぎ−暗殺者「近江屋」に
でかけたのと入れ替わりに、数人の刺客が「近江屋」にきた。
龍馬暗殺 午後9時30分−峰吉「近江屋」に戻る
定宿の醤油商・近江屋では裏庭の土蔵に密室を造り万一に備えて裏手誓願寺へ逃れる道も用意して
あったが運命の日、龍馬は風邪気味で、土蔵の隠れ家から母屋の2階に移っていた。
 
十津川郷士と名乗る覆面の武土が元相僕取りの下僕藤吉に取りつぎを頼み、龍馬のもとへ案内しよう
とした藤吉を斬り伏せる。
藤吉の倒れる音を聞いた龍馬が「ほたえな!」と声をかけた所へ2人の刺客が飛び込み、1人が中岡の後頭部を、1人は龍馬の前頭部をないだ。中岡はこの時「こなくそっ」と言う伊予弁(又は土佐西部地方の訛り)の掛け声を耳にしている。(「こげなくそっ」と言う薩摩弁もある)
 不意を襲われた両人は鞘を払う暇もなく、龍馬は頭部に二創を受けて力尽きた。
中岡・下僕藤吉は重傷であった。近江屋新助は土佐藩邸に、峰吉は陸援隊に急を知らせる。11月16日 藤吉絶命する(享年25歳)。大坂に凶報達し、在坂の隊士は京都に急行した。11月17日 中岡絶命する(享年30歳)。
11月18日 東山霊山に三人の遺骸を埋葬する。
11月26日 永井尚志、新撰組局長近藤勇から事情聴取し、近藤は犯行を否定した。
京都の龍馬像 @伏見寺田屋
A円山公園内
B岬神社=土佐稲荷(河原町蛸薬師東入る北側)
C霊山護国神社
D嵐山天龍寺山内・松厳寺
ロケ地
鳥やさ
龍馬も鶏肉を買いにきた。
200年の伝統を誇り、当時のおもかげを残すこの料亭は、幕末のころ龍馬も鶏肉を買いに立ち寄ったという。
一説には龍馬暗殺の当日・峰吉にシャモを買いに行かせた先は「鳥新」ではなくここであったとも言われる。木屋町4条下る団栗橋西詰南