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私の読書感想メモ

新創社編 京都時代MAP 幕末・維新編NO2




内容(「MARC」データベースより)
京都の大路小路は坂本竜馬や新選組が駆け抜け、戦国時代には織田信長が行進し、
室町時代には足利尊氏が走った路です。史跡を時代毎に区切り、
各時代の古地図と現代地図を重ね合わせて見られるよう工夫した地図。幕末・維新編。
幕末・維新の事件現場を歩く(幕末・維新の事件現場を歩く
池田屋騒動
禁門の変
龍馬暗殺
鳥羽・伏見の戦い
風雲新選組)
御香宮神社 新政府軍の伏見での拠点
薩摩を主力とする新政府軍はここを拠点として戦いに挑んだ。現地に立ってみると、幕府軍が陣した伏見奉行所とはほとんど接している。(伏見区御香宮門前町)
伏見奉行所 幕府の伏見での拠点
新撰組が新政府軍にたいする防衛の拠点として屯所をおいた所。
伏見での戦いでは幕軍・新撰組あわせて1500名が入り、幕軍の拠点とされた。
(伏見区桃山毛利長門東町)
魚三楼 当時の砲弾痕を今も残す
京料理「魚三楼」の表格子には戦いのときの砲弾痕が今も残っている。
「魚三楼」は薩摩藩の賄い方をつとめていた。
(伏見区京町3丁目)
淀城跡 幕軍の拠点。ここから幕軍は伏見・鳥羽方向へ兵を進めた。
現在は公園になっている。
幕末に様々な足跡を残し、最後は賊軍(ぞくぐん)とされながらも、幕府への忠誠をつくした新撰組。
伏見屯所 伏見屯所
伏見奉行所跡(伏見区桃陵町)
慶応3年(1867年)12月、新撰組は伏見奉行所跡に屯所を移し、倒幕派を迎え撃つことになる。
現在奉行所跡は桃陵団地となっており、「伏見奉行所跡」の石碑が建てられている。
光縁寺 新撰組の菩提寺的寺院
(下京区綾小路大宮西入る)
25人の新撰組隊士が葬られている。門前には「新撰組の墓」という石碑がある。