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私の読書感想メモ

老春も愉し―続・晴美と寂聴のすべて

集英社 (2007-10-10出版)

瀬戸内 寂聴【著】
瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年(大正11年)5月15日 - )は、日本の小説家、天台宗の尼僧。旧名は瀬戸内 晴美(せとうち はるみ)。

僧位は大僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。学歴は徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)、東京女子大学国語専攻部卒業。
学位は文学士(東京女子大学)。元天台寺住職現名誉住職。比叡山延暦寺禅光坊住職。元敦賀短期大学学長。
徳島市名誉市民。京都市名誉市民。代表作には『夏の終り』や『花に問え』『場所』など多数。近年[いつ?]では『源氏物語』に関連する著作が多い。
これまでの著作により多くの文学賞を受賞した
徳島県徳島市塀裏町の仏壇店(瀬戸内商店)を営む三谷家の次女として生まれ、後に父が従祖母の家である瀬戸内家養子となり、女学校時代に晴美も瀬戸内に改姓。

東京女子大学在学中の1943年に21歳で見合い結婚し翌年に女の子を出産、その後夫の任地北京に同行。1946年に帰国し、
夫の教え子と不倫し
、夫と3歳の長女を残し家を出て京都で生活。

大翠書院などに勤めながら、初めて書いた小説「ピグマリオンの恋」を福田恆存に送る。
1950年に正式な離婚をし、東京へ行き本格的に小説家を目指し、三谷晴美のペンネームで少女小説を投稿し『少女世界』誌に掲載され、
三谷佐知子のペンネームで『ひまわり』誌の懸賞小説に入選。少女世界社、ひまわり社、小学館、講談社で少女小説や童話を書く。
また丹羽文雄を訪ねて同人誌『文学者』に参加、解散後は『Z』に参加。なお長女とは後年出家後に和解したという。

遠藤周作、大庭みな子、小田実…。
深い絆で結ばれた文学仲間との死別が続いたこの十年。
瀬戸内寂聴は悲しみを越え、いっそう精力的に行動する。
瀬戸内「源氏」ブーム、個人全集の刊行、そして文化勲章受章。
喜寿から85歳まで書きに書いた激動の10年。

長く生きてると良いことがいっぱいあるのよ
戦争反対のための断食、文化勲章授章、新作小説は大ベストセラー、と激動の「老春」を過ごす著者の10年の軌跡。
「想い出をなぞるだけでも退屈しない」と老いを前向きに捉える著者のエッセイ。

私たち以外誰一人いない京都の法然院。谷崎さんのお墓にまいっての庭で、遠藤周作さんが
「瀬戸内さん、死ぬのが怖うないか?」って言った。「あんまり怖くない」「そうか、ぼくは怖い、とても怖い」
「カトリックの信者でも怖いの」「うん、信仰と怖さは別や」
川端康成「飛行機にのるのは好きですか?」「はい嫌いではありません。」「僕も好きです。いつも乗っている間、この飛行機が落ちれば良いと
いつも思っています。」

一日一日を大切に過ごしてください。

そして、

「今日はいい事がある。いい事がやってくる」

「今日はやりたい事が最後までできるんだ」

この事を思って生活してみてください。

お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、
「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげて下さい。