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私の読書感想メモ
トルストイ (著) トルストイ民話集 イワンのばか
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ( 1828年9月9日 - 1910年11月20日)は、ロシアの小説家。
代表作は、『アンナ・カレーニナ』、『戦争と平和』など。平和主義者としても知られる。
ロシア文学と政治の両方に大きな影響を与えた。
19世紀を代表する小説家のひとりである。
また時間論に関し、「過去も未来も存在せず、あるのは現在と言う瞬間だけだ」という言葉を残した。
トルストイの祖先はアレクサンドル1世の側近で、トルストイもまた伯爵としてロシアの名門貴族の一員であった。
トルストイはモスクワ郊外のヤースナヤ・ポリャーナで伯爵家の四男に生まれた。
大地主の息子として育ったトルストイは、クリミア戦争に将校として従軍する。
戦地での体験は、トルストイが平和主義を展開する背景となり、また後年の作品での戦争描写の土台となった。
トルストイはまた社会事業に熱心であり、自らの莫大な財産を用いて、貧困層へのさまざまな援助を行った。
援助資金を調達するために作品を書いたこともある。
社会からは慕われたトルストイであったが、家庭では暴君のようであったといわれ、夫人との仲は険悪であった。
1910年、家出をしたトルストイは、鉄道旅行中悪寒を感じ、アスターポボ駅で下車した。
1週間後、11月20日に死去。トルストイの葬儀には1万人を超える参列者があった
(「BOOK」データベースより) ここに収められた「イワンのばかとそのふたりの兄弟」はじめ9篇の民話には、愛すべきロシアの大地のにおいがする。そして民話の素朴な美しさの中に厳しい試練に耐えぬいたトルストイ(1828‐1910)の思想の深みがのぞいている。ロマン・ロランが「芸術以上の芸術」「永遠なるもの」と絶讃し、作者自身全著作中もっとも重きをおいた作品。 目次 イワンのばかとそのふたりの兄弟 小さい悪魔がパンきれのつぐないをした話 人にはどれほどの土地がいるか 鶏の卵ほどの穀物 洗礼の子 三人の隠者 悔い改むる罪人 作男エメリヤンとから太鼓 三人の息子 |
イワンのばかと二人の兄弟−イワンの馬鹿では、二人の兄・軍人のセミョーンとほてい腹のタラースと口のきけない妹、マラ−ニャと、それと悪魔じじぃと三人の悪魔小僧の話し。 悪魔じじぃはイワンに向っていいました。 「頭で働くのも、そうらくなことではありませんよ」 ときには頭が割れそうになることもありますからね」 イワンは考え込んでしまいました。 「頭が割れるなんてえらいことじゃないか? それより、手と背中を使って、もっとらくな仕事をしたほうがいいのに」 一人は大きな軍隊をもてば金持ちになれると確信をもちセミョーン、 もう一人はお金をもてば何一つ苦労することはないと信じてやまない人物をほてい腹のタラースをテーマに展開されている。 しかし、大きな軍隊をもってみても、さらに大きな軍隊にやっつけられ、無一文に、お金を増やしても、もっと大金持ちに裸にされてしまう話しを通じて、トルストイは何が大切化をイワンの労働と平和主義に生き方の方向を諭しています。 |
戦争と平和
1865年から1869年にかけて発表されたものである。
19世紀前半のナポレオンによるロシア遠征とその失敗、アウステルリッツの戦いなどの歴史的背景を軸に、
あるロシア貴族の一族の興亡をピエール・べズーホフとナターシャの恋と新しい時代への目覚めを点描しながら描いた、
登場人物500人を超える群像小説である。ピエール・べズーホフが、著者トルストイの分身と見られ、彼の没落していくロシア貴族から、
大地の上で強く生き続けるロシアの農民の生き様への傾倒へと続く魂の遍歴は、著者の心の動きの反映とも言われる。
アンナ・カレーニナ
1877年に出版されたレフ・トルストイによる小説、およびそれに登場する女性の名前。
冒頭に「幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれにその不幸の様を異にしているものだ。」
という有名な一文がある。
復活
い貴族ネフリュードフは殺人事件の裁判に陪審員として出廷するが、被告の一人である若い女を見て驚く。
彼女は、彼がかつて弄んで捨てた、下女カチューシャその人だったのだ。
彼女は彼の子供を産んだあと、そのために娼婦に身を落とし、ついに殺人に関わったのである。
カチューシャが殺意をもっていなかったことが明らかとなり、本来なら軽い刑罰で済むはずだったのだが、
手違いでシベリアへの徒刑が宣告されてしまう。
ネフリュードフはここで初めて罪の意識に目覚め、恩赦を求めて奔走し、
ついには彼女とともに旅して彼女の更生に人生を捧げる決意をする。
トルストイ民話集 人はなんで生きるか
ここに収められた五つの短篇はトルストイ(1828‐1910)晩年の執筆になるもの。 作者はこの時期いちじるしく宗教的・道徳的傾向を深めていた。 そして苦悩に満ちた実生活を代価としてあがなったかけがえのない真実が、幾多の民話となって結晶していったのである。 これらの作品には、素朴な人間の善意にたいする確かな信頼が息づいている。 「人はなんで生きるのか」 神の三つの言葉: ・人間の中にあるものは何か ・人間に与えられていないものは何か ・人間はなんでいきるのか |
神様の仰せに背いて地上に落とされた、天使ミハイル. ミハイルは、ある時、病気で死期の近づいた女の魂を抜きに行く。 ところが、彼女はその時双子の赤ちゃんを産んだばかりだった。 ミハイルの姿を見て、自分の死を悟った母親は、魂を抜かないで欲しいと懇願し、 ミハイルはそのまま天に戻る。仕事を果たさずに帰ってきたミハイルに対し、 神様は三つの問題を課して、その答えを見つけるまで天に戻って来ないよう言い渡した。 ひとりのくつ屋が、女房と子どもたちをかかえて、その日ぐらしの苦しい生活を おくっている。自分の腕一本だけで暮らさないといけないのに、手間賃は安くて、 パンは高い。稼いでも稼いでも手元にお金は残らない。 天使はくつ屋の家につれて行かれ、あくたいをつくおかみさんに死相を感じたが、 反省したおかみさんが食事を出してくれたとき、おかみさんの顔から死相が消え 生き生きとした顔になっていた。 そのとき、神様の「人間の心の中にはなにがあるかわかるであろう」という くつ屋の家でくらすようになって、あるとき金持ちがやってきて靴を注文した。 そして、天使は「この男は、今日の夕方までも生きられないのに、 |