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私の読書感想メモ
野村路子著 テレジンの小さな画家たち
偕成社/1993.6.1出版 15000人のアンネフランクテレジン収容所に残された 4000枚の絵 見つかれば処刑されるにもかかわらず、 絶望の中にいる子供たちに喜びと希望を与えるために絵を、詩を教えました。 そして、作品には必ず名前を書かせました。 それが子供たちがこの世に生きた唯一の証となるからです。 子供たちに絵を描かせたのはフリード−ル・ディッカーを初めとする何人かの教育者達。 彼らもまた子供たちと同じようにアウシュビッツへ送られ帰らぬ人となったのでした。 50年ほど前、ナチスの強制収容所のひとつ、チェコスロバキアのテレジン収容所には、 1万5千人のユダヤ人の子どもたちがいた。 空腹ときびしい労働で疲れ果てた子どもたちのたったひとつの楽しみは、 ひそかに絵をかくことだった。 遊園地やサーカスの思い出、花や蝶…。 しかし、この子どもたちはたった百人しか生き残らなかった。 子どもたちが生命をこめてかき残した絵の数々は、悲しいほどに胸を打ちます。 フリード−ルが「あなた達には名前があるのよ。 ドイツ軍がなんと呼ぼうと、番号をつけようと、 あなた達には親からもらった大事な名前があるの」という指導があったから絵は残された |
管理人メモ ユダヤ人のしるし「ダビデの星」 |
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ナチス党のアドルフ・ヒトラ−がドイツの絶対支配者・総統になった。 「ドイツを世界で一番大きな、強い国にしたい」 1935年「ドイツ人の血統を守る」法律を作る 1942年「ユダヤ人全滅計画」 |
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「呼び出し状」−持っていける荷物は一家族で50キロ。 収容所−10歳になっていない子供はお母さんと一緒。 10歳から15歳は「男の子の家」「女の子の家」 16歳以上は大人の仲間。 子供達の労働時間は朝7時から夜の7時まででした。仕事中はトイレに行けない。 朝はコ−ヒみたいな「茶いろい水」 昼はス−プ。小麦粉をまるめたピンポン玉くらいのだんごは一つ。 夜は塩味だけのス−プと小さなジャガイモ一つか、小さな固いパンが一きれ。 |