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私の読書感想メモ
中島 義道 (著) 人生を“半分”降りる―哲学的生き方のすすめ
内容(「BOOK」データベースより) 洗いざらい考え直してみれば、自分にとって大切なものが何か、わかってくる。 「いかにして自分自身になるか」を問い、現代人にとっての"半隠遁"をすすめる。 内容(「MARC」データベースより) 何をしても納得がゆかず何をしても不満足で何をしてもつまらない。 そんな人は、人生を〈半分〉だけ降りてみよう。世間にほどよく背を向け、 人生や死を真面目に考えたい人の〈半隠遁〉のすすめ。 中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は、福岡県出身の哲学者である。 自称、「戦う哲学者」。東大教養学部にて大森荘蔵の薫陶を強く受けつつ、哲学者としての修行を積んだ。 専攻は、時間論、自我論、コミュニケーション論。イマヌエル・カントを中心的に研究。 人間の生きにくさ、そして人生に於ける不幸を論じたエッセーを数多く執筆する。 「幸福な人生など絶対に存在しない」と強く主張する。 『生きにくい……』、『どうせ死んでしまう……』と言う著書のタイトルを見れば分かる通り、かなり虚無的である。ただ、厭世的ではない。 また、著書『人生を<半分>降りる』のタイトル通りの思考を、自ら実践している。 具体例としては、勤める大学の入学式や卒業式に出席しない。 自分の父や母の死去を知人、周辺の近しい人に報告しない (つまり、その葬式には自分の知人や近しい人は一切出席しない事になる)。 姪の結婚式に呼ばれても出席しない。パーティーにも出ない。 つまり、一切の儀式を拒むという行為が挙げられる。 |
管理人メモ あなたはまもなく死んでしまう−帰りなん、いざ |
帰去来兮 陶淵明 「さあ帰ろう。ふるさとの田園はまさに荒れようとしている。 帰らないわけにはいかないだろう」ではじまるこの作品は日本で最も愛されている漢詩のひとつだ 帰去来兮。請息交以絶遊。世與我而相遺。復駕言兮焉求。 悦親戚之情話。楽琴書以消憂。農人告余以春及。将有事于西畴。 或命巾車。或棹孤舟。既窈窕以尋壑。亦崎嶇而経丘。木欣欣以向栄。 泉涓涓而始流。善萬物之得時。感吾生之行休。已矣乎。寓形宇内復幾時。曷不委心任去留。 帰去来兮(帰りなんいざ), |