私の小さな旅、トップに戻ります 私の読書メモに戻ります

プラウザの「←戻るボタン」で戻り下さい

私の読書感想メモ

新美 南吉【作】 おぢいさんのランプ

新美南吉[ニイミナンキチ]
1913年、愛知県半田市に生まれる。1932年、東京外国語学校(現・東京外国語大学)に入学。
この年、童話雑誌「赤い鳥」に「ごんぎつね」が掲載される。
1936年、東京土産品協会に勤めるも、喀血のため帰郷。代用教員を経て、安城高等女学校の教諭となる。
1943年、30歳の誕生日を目前にして、結核により逝去。作品が認められたのは、死後10年以上経ってからである

東一が友達とかくれんぼをして遊んでいるときに、不思議な形のランプを見つける。
夕方になって東一がランプをいじっていると、おじいさんがやってきて昔の話をしてくれた。


あめだま
◆あめだま◆げたにばける

さむらいはげたをかって、こどもだぬきのばけたげたをおもてにだしてやり、おあしをひとつやって、
「や、ごくろうだったのう」といいました。



ごんきつね
「これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いたお話です」兵十が川で魚を捕っているのを、
いたずら好きなごんがみつけた。兵十がびくから目を離した隙に、ごんは兵十が捕った魚やウナギを逃がしてしまう。
それから10日ほど後兵十の母親の葬列(お歯黒が登場)を見たごんは、あのとき逃がしたウナギは兵十が母親のために
用意していたものだと悟り、反省する。

自分と同じひとりぼっちになった兵十に同情したごんは、ウナギを逃がした償いの意味もあって、鰯を盗んで兵十の家に投げ込む。
だが鰯屋は兵十が盗んだと勘違いし、兵十が殴りつけられたため、ごんは再び反省する。
それからごんは毎日栗や、時には松茸を届けるようになる。
兵十は毎日届けられる栗を不思議に思い加助に相談すると、「それは神様のおかげだ」と言われる。

その翌日、ごんが家に忍び込んだ気配に気づいた兵十はまたいたずらに来たのだと思い、
母親にウナギを食べさせられなかった無念もあり、ごんを撃ってしまう。
倒れたごんの横に散らばる栗に気づき、兵十が「おまえだったのか」と問いかけ、ごんがうなずく。
兵十が思わず取り落とした火縄銃からは青い煙がのぼっていた。

学校国語教科書の教材の定番ともいえる作品である。1956年、大日本図書の国語教科書に採用されたのが最初である

手袋を買いに

雪の朝、表を走り回って帰ってきた子狐の冷え切った手を握りながら、母さん狐は手袋を買ってやろうと思いついた。
夜になって町に出かける途中で、母さん狐は子狐の片手を握って人間の子供の手に変えた。
そして子狐に、町の帽子屋へ行って戸を少しだけ開けたら、
人間の方の手を出して「手袋をください」と言うように、と教えた。
間違って狐の手を出してしまうとひどい目に遭うからと。子狐は町に着くと帽子屋を見つけ戸を叩いた。
帽子屋が戸を開けた拍子に差し込んだ光がまぶしくて、子狐はつい狐の方の手を出して、
「手袋をください」と言ってしまった。
帽子屋は、狐だなと思ったけれども出されたお金が本物であることを確認すると黙って手袋を渡してやった。

私の小さな旅、トップに戻ります 私の読書メモに戻ります