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私の読書感想メモ
風の又三郎
新版宮沢賢治童話全集
「雨ニモマケズ」、「風の又三郎」、「銀河鉄道の夜」などたくさんの名作を遺した宮沢賢治は、 明治29年(1896年)花巻で生まれました。 賢治は盛岡高等農林学校卒業後、花巻農学校の教師として農村子弟の教育にあたり、多くの詩や童話の創作を続け、30歳の時に農学校を退職、独居生活に入ります。ここで羅須地人協会を開き、農民講座を開設し、青年たちに農業を指導しました。 その後、2度病に倒れ、ついに昭和8年(1933年)9月21日、37歳の若さで永眠しました。 宮沢賢治は、童話と詩が有名ですが、教育者であり、農業者でもあり、天文・気象・地理・歴史・哲学・宗教・化学・園芸・生物・美術・音楽・・・・・あげていけばきりがないほど多彩な内面を持っています。 宮沢賢治と童話の出会いは、小学校三年の時の担任、八木英三の話してくれた童話に感動したことに始まります。後に自ら「自分の童話の源には先生のお話が影響している」と語っています。 北守将軍と三人兄弟の医者/税務署長の冒険//を収載。 |
堀尾青史の解説より
北守将軍と三人兄弟の医者 | 魅力ある将軍の人物像。 武将として30年もの長い間・辺境にすごし、いまや枯淡の境地にあって地位も 名誉も欲しない。少しの食物を作り、それを食べなくなって死んだのが仙人となったのか。 人間の死としては理想的な形で消える。この風格が素晴らしい。 |
税務署長の冒険 | 昔から農家では畑の豆から味噌を作るように、たんぼの米から酒を作るのは当たり前のことでした。 その酒を神にささげて収穫の感謝としたものです。 ところが明治以降、酒に税金をかけることになり、自家製の酒は禁止になりました。 一般農家では高い清酒を飲むほどの贅沢はできないので、こっそり作る、すなわち濁密を続けていました。 これをとりしまり、罰金をかけるのが税務署でした。 ハーナムキヤの税務署長は、ユグチュユモト村での「濁密防止講演会」で、この村でも酒の密造が行われているとの感触を得た。そこで署長は変装して村の密造工場を調査するが・この両者の攻防戦がはげしく続きます。 |
風の又三郎 | どっどどどどうど どどうど どどう、 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんもふきとばせ どっどどどどうど どどうど どどう 長い間、あたため発表する積りだったのが、賢治の病気や季刊読の廃刊になったりした。 東北・越後方面では「風の又三郎」という風の神で、風を入れた袋をかついで駆ける石の像が残っている。 210日のように定期的に襲う台風は、農民にとっては収穫前の恐怖ですから無事を祈って祭るけれど読者も不思議な思いに巻き込まれます。 |
宮沢賢治 貝の火
宮沢賢治の名作。宝珠「貝の火」をめぐる心の葛藤。 うさぎの子は何か 発行年月: 1991年 11月 |
ホモイが本当に手に入れたもの
解説 堀尾青史
このお話のホモイは、川でおぼれているひばりの子を救うために、泳ぎもできないのに 飛び込んで助けました。 自分が泳げないのに、みすみす見てはおれない、救いたいという善の行為は、人間にはもちろんありますが 泳げない人ならやはり躊躇するでしょう。 しかし実際にはそういう状態に直面すると泳げなくても助けようと飛び込む人はたくさんいます。 人間は自分を犠牲にしても人の命を救おうとするよい心をもっています。 うさぎのホモイもそうです。 |