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私の読書感想メモ

三好 春樹【著】 じいさん・ばあさんの愛しかた―“介護の職人”があかす老いを輝かせる生活術
法研 (1998-09-10出版)

老人と楽しく付き合える人は、自分の老いとも楽しく付き合える。
「老い」とは新しい価値観との出会いである。

第1章 老いとの出会いは偶然だった(ここの老人、かわいそうだと思う?;年をとると個性が煮つまる ほか)
第2章 介護の発見は必然だった(ウメさんの検査入院;ナイチンゲールはベッドの足を切る;下からは世の中がよく見える)
第3章 専門知識と介護現場をつなぐ(知識が現場に届かない;訓練の持っている致命的欠陥 ほか)
第4章 在宅の老人はもっとたくましい(「一千万円もろうたよりよかった」;ムシロ・キャタピラー;五衛門風呂のつり革;会話にならない会話 ほか)
1950年、広島県生まれ。高校中退後、数々の職業を転々とし、特別養護老人ホームの生活指導員となる。指導員5年目に理学療法士養成校に入学、PT資格取得後、再び特養ホームに理学療法士として勤務。その後「生活とリハビリ研究所」を開設し、全国で「老人と生活リハビリ講座」を開催、生活を視点においた介護や看護の実践を広めている

 そこには教科書では通用しない世界が広がっていました。
暴言は吐く、物を投げ引っかく、ツバまで吐き散らすといった愚行から、いくつもの病院や施設を転々としてきた半身マヒで10年寝たきりの問題老人が、研修通りの接し方しかしない職員には心を開かないのに、ありのままの彼を受け入れて必死でケンカをする指導員には笑顔を見せるようになっていった。また、老人病院で点滴のために手を縛られ、オムツをつけ、表情をなくしてやって来た女性が、ベッドの脚を切って低くしただけで、立ってトイレに行けるようにもなった。逆に、特養では自立できていたおばあさんが、疾患があるため病院に1週間検査入院したところ、車椅子に乗せられ、尿意も分からなくなってオムツをつけて帰ってきた。「おいおい何をやってんだよ。そっちは専門家がいっぱいいるはず。こっちは素人ばかりなのに、なんで老人が元気になれるんだ」といった感じでした。
 ベッドを低くして足が床につけば、立てるようになる。歩いてトイレに行ければ尿意が回復し、目の輝きも戻ってくる。介護現場には専門書には書いてないことばかり。介護は自分たちの日常体験の中にあるんだと分かった。こちらは素人なんだけど、人間を人体として部分的に見るのではなく、人間丸ごととして捉えることの力の大きさとでもいうのでしょうか。病院で命だけを救ってもらっても、それではただの生きものにすぎない。介護現場では命は救えないけれど、ただ息をしているだけの人や生きるのをやめようと思ってる人に、もう一度笑顔を取り戻せることができるのではないかというシロウト集団の開き直りが始まりました。
「専門家がそろっているはずの病院で、ナ−スコ−ルで呼んでも誰もきてくれない。
それでおしっこを失敗すると怒られ、それでオムツをあてられて、
気持ちが悪くて手で外すと、今度は手を縛られる。情けない」
ナイチンゲ−ル=「看護覚え書」
「どんなことがあっても、ベットがソファよりも高くて良いわけがない」
「病気のうちの多く、それも致命的な病気の多数は病院内で作られる」