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私の読書感想メモ
三浦 光世【著】 死ぬという大切な仕事
光文社 (2004-06-20出版)
わたしにはまだ死ぬという仕事がある」晩年、パーキンソン病の闘病を続けていた作家・三浦綾子は、こう洩らしたという。 その夫・三浦光世は、四十年の長きにわたり、妻を支え続けた。 共にキリスト教徒として、信仰に生きた著者が看取った妻の最期。 さらに、聖書の言葉を織り交ぜながら、二人が出会った数数の死についてに、思いをめぐらせていく。 感動のエッセイ集。 綾子の最期 死に対する恐怖 「ザマを見ろ」 綾子の生涯における最たる悲劇 「きっと死ぬ」 聖書の最初に出てくる「死」の意味 難病との出会い 綾子が果たせなかった仕事 綾子に書かせたかった物語 最初の肉親との死別〔ほか〕 三浦光世[ミウラミツヨ] 1924年、東京生まれ。’27年、北海道に移住。’41年、腎臓結核にて右腎臓摘出。’49年、キリスト教の洗礼を受ける。’55年、療養中の堀田綾子を初めて見舞う。’59年、堀田綾子と結婚。以後、妻・三浦綾子の著作活動に協力。妻がパーソンソン病発症後、介護にあたり、’99年10月12日死別。現在、三浦綾子記念文学館理事長として講演、執筆活動等を行っている |
「私は朝起きて、今日が命日かもしれないと思うことがある」 「今日を命日だと思って、生きることにした」 便意をもよおしたが時すでに遅く下着にのっこり・・ タクシ−の中で失敗したこともある いずれも介護される辛さは介護する私の何倍もの辛さであったと思う。 夜、3回も起きて世話をするのはいささかしんどいということになるかもしれない。 4・5回になると少し・・ しかし6回でも7回でも痛みを伴うわけではない。 それにしても綾子の忍耐力は大きかった。 私ならどんなに愚痴をいい、周囲に当たりちらすであろう状況も静に耐えていた。 まさに驚異に値する忍耐力であった。 箸やスプ−ンを口にするときも、ポロリと落とすようになった。 本人は残念であり、悔しい思いをしていたはずだが 決して外には表さなかった。 シャツやセ−タ−を自力で着れなくなって、着せてやる私に 「どうして、こんなことをしてもらわなければならないの」と言ったことが たった一度だけあった。 |
死に対する恐怖 ・色の黒い、髪の真っ白な老婆が、じっとスト−ブの前に背を屈めていたのだ。 ・高熱をだして男の首の幻をみ、その病が癒えた頃人が死んだ。 その若い男が死ぬ前の日であった。 あの髪の真っ白な老婆は言った。 「カラスの鳴き声が変だよ。誰か死ぬんじゃないのかね」 私が4歳の頃だった。 |