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私の読書感想メモ


三浦 綾子【著】 愛すること生きること
光文社 (1997-05-30出版)


人生にとって、「なくてならぬもの」はそれほど多くはない。
三浦綾子が語る、本当の自由な生き方とは―。

なくてはならぬもの
生きるということ
聖書と私の小説
愛すること信じること
ちいろば先生のことなど
私と小説
むなしさの果てに
今、何を求めるか

管理人メモ
・「泥流地帯」一番好きな小説。主人公は旦那の性格。
時速60キロで(十勝山の噴火により)流されて、死んだ人は顔もわからなくなっていたけれど
肉親がきて名前を読んだら鼻から血が出たような話を何度も聞いた。
「氷点」−実際にあった話で身内で殺人事件があった。
・私たちは毎日生きてる。誰かの人生を生きてるわけではない。今日一日はあってもなくても良いと
いう一日ではない。もしも明日命が終わるものだとしたら、今日がどんなに貴重な一日になるか。
65歳まで生きてきたら大抵は名人になる。だけでも私は生きる名人にはなっていない。

三浦 綾子【著】 明日をうたう―命ある限り

角川書店 (2002-09-25出版)
人間の生活は、つきつめれば誰しも感謝と謝罪の二語につきるのではないか―。
日々襲いかかる病魔と闘い、一人遺言をしたためながら胸に浮かぶ、時、人、言葉…。
作家デビュー以後の軌跡を刻む本書の執筆再開を願いながら、ついに叶うことなく七十七歳の生涯を終えた著者が最後に遺した、魂を揺さぶる感動の書。

第1章 苦難をテーマに
第2章 心臓発作
第3章 別離
第4章 母二人逝く
第5章 悲しみを乗りこえて
第6章 激しき痛み
第7章 思いがけない事件
第8章 死を覚悟して生きる
第9章 人はなぜ生きるか
第10章 ちいろば先生を辿る旅
第11章 神の恵みの旅

三浦綾子[ミウラアヤコ]
1922年、北海道旭川市生まれ。旭川市立高女卒。朝日新聞社の懸賞小説に『氷点』が入選、大ベストセラーとなる。99年、77歳で逝去

松本清張の言葉
「ぼくは東京が怖い。今でも自分の家に帰っていくのに、東京が近くなると怖くなる
「東京には才能のある人がたくさんいる。それが怖い」
「天北原野」のロケ斑の招待夕食会のときにいつものようにご飯に味噌汁や吸い物を
食べるくせが出たときに森繁婦人が
「私も一度で良いからこのようにして食べて見たかったのよ」って言って
私と同じように食べたら回りにいる女性がマネをしてそれで救われた。
後書き−三浦光世
1991年パ−キソン病にかかる。
副作用として幻覚が出た。心臓発作を起こしたり、不眠になったり着替えもできなくなっていく。
1997年札幌柏原病院に入院
1999年旭川リハビリ−ステ−ション病院に入院
9月5日、「あ、息をしていない。脈もとまっている」ナ−スは叫んだ。
1999年10月死去

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