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私の読書感想メモ

  水上勉著 「ブンナよ木からおりてこい」

"みんなの命はつながっている。自分ひとりの命じゃないんだ。
だから大切に生きようよ!"というブンナの言葉は、複雑な現代社会において生命の意味、生きることの原点をやさしく教えてくれています。
このテーマを可愛らしい蛙たちの世界の物語として展開した水上勉の長編童話は、すでに舞台化されて芸術祭優秀賞・厚生省児童福祉文化賞を得るなど子ども達から大人まで幅広い世代に深い感動を与えています

ものがたリ
ブンナは、若くて元気なトノサマ蛙。お寺の池に暮らすカエルたちの誇り高きリーダーです。
か弱い小蛙たちの味方となって働き、仲間と合唱したり、美少女蛙ユウナをからかったり・・・。
そんなある日、ブンナはちっぼけな池で暮らすのに飽き足らなくなり、
新天地を見つけようと池の脇にそそり立つ椎の木のテッペンに向って昇りはじめます。
仲間の老蛙やユウナの止めるのも聞かないで・・・。
 必死の思いでへばりつくように昇っていったブンナは、途中さまざまな出来事に出合いながら、
ついに椎の木の頂上に到達します。しかし、喜ぶのもつかの間、
この頂上はトンビのエサ置き場であることを知らされます。
間もなく傷ついたモズやスズメが放り出されてきます。
弱い奴は強い奴に食われてしまうとあきらめているモズ、生きのびたいと願う余り自分よりも隠れている
ブンナを食べろとモズに告げ口するスズメ。しかし、モズはトンビにつかみ去られていきます。そして夜明け・・・。
 朝露で元気づくブンナとスズメの前に、今度はネズミがエサとして落とされてきます。
何か食べて逃げたいと言うネズミに、卑怯なスズメはまたブンナを食べろと告げます。
みんなで仲よく暮らせる国を深し求めるブンナは、こらえ切れずに怒りますが、
その直後にスズメの体はトンビにつかみあげられ、代わりに傷ついたヘビが投げ落とされてきます。
 生きるために他の生きものを食べているんだと言うきらわれもののへどの寂しい心に同情したブンナは、
知恵を合わせて生きのびる道を探そうと語りかけます。
けれども油断したブンナをヘビはひと呑みにしようと狙います。
やがてこのヘビもトンビに連れ去られます。
そして優しかったネズミは、自分の死んだ後、体から虫が湧いてくるから
それを食べて生きろと言い残して息絶えます。
 秋・・・そして冬が過ぎ、春が訪れます。
椎の木の頂上にひとり生きていたブンナは、冬眠から目覚め、飛び交う虫を食べて元気をとり戻し、
木から降りてきます。死んだと思っていたブンナが木から降りてくるのを見つけて蛙たちは熱狂して喜びます。
みんなの生命はつながっているのだから大切に生きなければならないと皆に語りかけるのでした・・・・・・。

水上 勉【著】 仰臥と青空―「老・病・死」を超えて
河出書房新社 (2000-12-20出版)



「老」の孤独と寂寥、「病」の日常の痛苦と悲衰、「死」への深まる恐怖―
人はいかにしてこれら人生の壁を乗り越えるべきか。
生命への深い洞察と知見に満ちた究極の指針。
「今」を生きるための「自力」の思想。

第1部 縄を綯う―鹿教湯病院体験記
第2部 一点を凝視する力―子規と病の日常
第3部 迷いと小悟の日々―六祖慧能から道元へ
第4部 孤立を恐れぬ思想―小林秀雄の思い出
第5部 廃墟と青空―昭和二十年代追想
もう一人の自己
痛苦から逃れる手段
「自分の書斎にもう一人座っている男がいるから、恐いから見てきてくれ」と
女房にいうようになって「誰もいませんよ」というから
安心して部屋に戻るのだけれど、はたしてその男はいた。

長野県北佐久郡北御牧村下八重原 (2000・11.01)

秋末の一日

家には全盲のお婆ちゃんがいたし父に収入がなくて、大工という手職をもっておりましたけれども、
遠いところへ出稼ぎに行かなきゃならない。

母は十九で私の家へ嫁に来たといっておりましたが、お袋が二十一の時に私を生んでおります。
三十三と二十一で、田んぼも山もなくて自分の家とてない借家住いの若父婦が、子供を五人も生んでしまった。
それで9歳のときに相国寺に預けられる。雪の深い中、駅まで1時間半も歩いて・・
若狭湾、母への思い。

亡くなった母親を雪をこいで土葬にしたときに墓地から下ってきてお墓の方を見上げたら
女の人がそのお墓の方へ向って走りあがって行った−

小さな人口五千の大飯町に、四つの原子力発電所ができます