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私の読書感想メモ
宮沢賢治/作 宮沢賢治童話全集12
『雨ニモマケズ』
明治二十九年(1896年)岩手県花巻市出身。盛岡高等農林学校に進む。 日蓮宗に帰依し、熱心な信者となる。文芸によって布教活動をすることを考え、童話を書く。 大正十年、妹の病気のため帰郷。稗貫(ひえぬき)農学校の教師となる。 翌年より作品がが盛んに作られる。大正十五年退職し、農業啓発活動を始める。 昭和八年、(1979年)・三十七歳で病死。1979年 主な作品 「月夜のでんしんばしら」「どんぐりと山猫」「無声慟哭」「岩手山」「原体剣舞連」「春と修羅」 「注文の多い料理店」「稲作挿話」「銀河鉄道の夜」など |
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキ小屋ニイテ 東ニ病気ノ子供アレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニ疲レタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニソウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクワヤソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイウモノニ ワタシハナリタイ− 「雨ニモマケズ手帳」とは 賢治は、1933年に亡くなりますが、死後、弟によって、手帳に書かれたこの詩が発見された。 賢治研究者の間ではこの手帳 を「雨ニモマケズ手帳」と呼んでいる |
2001年6月12日・宮沢賢治の八歳下の弟、宮沢清六さんがいっさいの延命措置をことわって
岩手県花巻市のしたくで死去された。
満九十七歳だった