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私の読書感想メモ

加藤 シヅエ・加藤 タキ【著】 加藤シヅエ凛として生きる―104歳の人生が遺したもの
大和書房 (2002-12-15出版)
103歳、舌がんの再発。
老いの重みと闘った104歳。
そして、最愛のひと、夫・勘十のもとへ。

1 明け方の選挙演説(桜色のバースディ・ケーキ;頻繁なナースコール ほか)
2 部屋よ、さようなら(母と私が築いた母娘関係;「前途」と書く ほか)
3 ゆたかな感受性(奇蹟の誕生パーティ;スタッフの深い愛情に支えられて ほか)
4 最愛のひと、勘十のもとへ(言い遺しておきたいこと;切ない選択 ほか)
特別対談 加藤シヅエという女性の生き方(瀬戸内寂聴・加藤タキ)

加藤シヅエ[カトウシズエ]
1897年(明治30)、東京生まれ。1914年(大正3)、女子学習院中等科卒業。
同年、男爵石本恵吉氏と結婚し2児をもうける。NYのバラードスクール卒業。
20年、産児調節運動のマーガレット・サンガー夫人と出会う。44年(昭和19)、離婚後、加藤勘十氏と再婚。
45年、48歳で長女多喜子誕生。46年、衆議院初当選。女性議員第1号になって以来28年間国会で活躍。
88年、国連人口賞を受ける。96年、国際家族計画連盟「加藤シヅエ賞」創設される。
97年、東京都名誉都民として顕彰される。01年12月22日没
加藤タキ[カトウタキ]
1945年、東京生まれ。森村学園の初・中・高等科を卒業後、米国ポートランドのJrカレッジおよびスタンフォード大学に留学。
通訳からコーディネーターの草分けに。現在はコメンテーター、講演、各種委員として活躍中

「若いときから使命を持つことが大事。だから老いの重みに耐えていくことができる。
死体が見える。
「すべてを終わりにしたいのです」
愛した人の子供をどうしても産みたかったシズエ
1937年人民戦線事件による拘留,恋人・加藤勘十との別離と再会,愛する息子たちの出征・死別を乗り越えて,
ついに勘十と結婚・愛児タキ誕生までの喜びと悲しみの日々。女性解放の先駆者が権力に屈せず生きぬいた。
「100歳を超えられた方でこんなにしっかりとした状態の骨をみたことがありません」と火葬場で働く人がつぶやいた。
103歳のときには「加藤シズエです」と街頭演説が明け方5時には連日続いたりしたが、最後には「幸せでした。有難う」