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私の読書感想メモ
川田 洋一 (著) だれにでもわかる永遠の生命―なぜ人間は死ぬのか
内容(「BOOK」データベースより) 「生も歓喜」「死も歓喜」とは、仏教の「死生観」の精髄を凝縮した珠玉のごとき"表明"である。 本書は「生」と「死」を歓喜の潮流でおおいつくす"大いなる道"を開くために著わされた。 内容(「MARC」データベースより) 物事の枠組みが大きく揺らいでいる現在において、現代人は死をどのようなものとしてみているか、仏教は人間の生死をどのようにとらえているのか、また人間の死を宇宙の生命源流からみるとどうなるかなど生と死の意味を考える。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 川田 洋一 1937年香川県に生まれる。1962年京都大学医学部卒業。 現在、東洋哲学研究所所長。医学博士 現代人は「死」をどのようなものとしてみているか (人はなぜ死なねばならないのか 心は脳を超えるか。 脳死によって変化した生と死のあり方 薄くなった死への想像力と自分探しの旅 ほか) 仏教は人間の「生死」をどのようにとらえているのか(「人生は苦である」という仏教の教え 死ぬのはいつも「自分ではない誰か」 死に向かう孤独さと受容の心理状態 ほか) 人間の「死」を宇宙の生命源流からみるとどうなるか(死後の世界と前世の記憶 臨死体験に見る「死」の精神医学 「魂の核」と「業のエネルギー」 ほか) |
世界の宗教は死をどのようにとらえているのか? | |
五大宗教 | 世界60億のうち40億人がどれかを信仰している |
キリスト教 | 「一神教」。この世で唯一新で神は人や地球だけでなく、全宇宙も創造した。 旧約聖書のヤハウェ。その唯一なる神は本性は一つであるが父・子・聖霊という三つの位格を持つ神、すなわち三位一体の神。 イエス・キリストは子なる神 |
イスラム教 | 「一神教」。この世で唯一新で神は人や地球だけでなく、全宇宙も創造した。 ユダヤ・キリスト教と同じ神でアッラ−と呼ぶ。 |
ヒンドゥ教 | 「多神教」であり、次々と新しい神を認める。 「三大神」宇宙の最高原理を造るブラフマ−神・その宇宙を維持するブィシュヌ神・ 宇宙を破壊する一方で性殖も司るという相反するシブァ神。バラナシ(ベナレス)。 ガンジス川で沐浴し、そのかたわらで死体を焼く火で、生と死が一体化している。 人間は何度でも輪廻を繰り返すという教えがある。 |
ユダヤ教 | 「一神教」。この世で唯一新で神は人や地球だけでなく、全宇宙も創造した。 「ヘブライ語聖書」に出てくるヤハウェ。 |
仏 教 | 人間の「生老病死」にまつわる苦と対決し、その苦を乗り越える方法を人々に教えた |
一 神 教 | 人間は死後、神によって裁かれ、それによって天国へ行けるかどうかが決まる |
仏教は人間の「生死」をどのようにとらえているのか | |
・釈尊は人間には誰にでも「若さのおごり」「健康のおごり」「生のおごり」 ・時は平等に流れている。いつかは自分もそうなる。 |
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五識の働きが低下。目・耳がダメになる。この状態で意識がないように見えるが、 意識を表現する能力がなくなっただけ。その意識もやがて七識の中に入って昏睡が深くなる。 意識の奥底で生の営みを続けたいという欲求がある。 無意識の中にある七識が生きようとしてる。 やがて活動もやんで八識に入る。これが死の状態。 これから先は生命が宇宙に融合。宇宙に戻る。 |
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表面上はうまく他人に合わせることができても本当の友達がいない。孤独である ↓(自我の悩みだから) 修羅界=自分が黙っているだけで他人が「私」を気持ちよくしてくれる訳ではない。 ゆがんだ自我。「私」を大事にする・「私」だけに執着してる。 自我が肥大するあまり、自分のえがく自分像と現実のギャップが広がって苦しくなる。 |
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「生も歓喜、死も歓喜」の本当に意味を考える | |
「人は生きたように死んでいく」は仏教が説く死生観。 「人は誰でも仏になることができる」という意味を理解し、自己表現の中で臨終を迎えた人は そのまま死後も歓喜に溢れた命を会得する。 死の状態は次なる「生」への憩いの期間。 人間は「諸行無情」の法理どおりに人間の身体は機能低下していく。 起きている自分と寝ている自分。 明日を心地良く迎えるために睡眠をとって休む。 私たちの先に待っている−死が生のエネルギ−を輝かせるために。 「あら面白や」と希望と歓喜に中に迎えられる 幸せな死は最後までそれを全うした人しか味わえない境地。 「あぁ苦しみもあったけれど、今思い起こせば楽しいできごとだった」 人生を楽しくしてくれた、数え切れない人々に感謝して・・・ そのためには「生きていることのすべてを楽しむ」ことを死ぬまで忘れてはならない。 |