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私の読書感想メモ

木下晋著・ペンシルワーク・「生の深い淵から」
里文出版刊



写真と見違えるほどの細密な鉛筆画が、超細密印刷により再現される。描かれているのは、102歳で吉川英治文化賞を受賞した瞽女(ごぜ)小林はるさん、谷崎潤一郎の「痴人の愛」のモデル、放浪をつづけた母親など、人間の心の闇の部分「生の深い淵から漂うもの」を描き、エッセイにまとめた。

木下 晋(きのした すすむ)
■1947年富山市生まれ
幼年時代、自宅の火事で隣近所も類焼。弁償できず、一家は呉羽山麓(さんろく)に夜逃げした。それからは食うや食わず。「ロビンソン・クルーソー的生活」を強いられた。
母が家出を繰り返すようになったのもそのころのこと。帰ってくれば出て行く。「母というと、家を出る後ろ姿」
そんな日常に、転機が訪れた。小学生のころから絵を描いたり、ものを造ることが好きだった。中学二年の時、美術教室に若くて美人の先生がやってきた。うれしくて張り切った。非凡を見いだした先生は、提案を出してきた。
「夏休みに彫刻を造りなさい。お昼は食べさせるから」。一も二もなく飛びついた。ご飯が食べられる。それに先生も一緒だ。友人をモデルに一カ月で造り上げた。才能を開花させたいと考えた先生は、富山大学教育学部の大滝直平助教授(当時)を紹介。週に一回、彫刻制作やデッサンの勉強に通うことになった。そして作品を、東京の美術家に批評してもらうまでになった。旅費は大滝が出してくれた。
温かい支援に応える時がきた。高校一年の時、クレヨン画が自由美術展に入賞したのだ。十六歳の入賞者は史上初。「高校を中退し、職を転々。「かなり危ない道も歩んだ」と苦笑する。が、美術を忘れることはなかった。「いつか再出発したい」と。
チャンスはやってきた。こつこつ蓄えた金で一九六九年八月、東京・銀座の村松画廊で初個展を開いた。その後も個展、グループ展を展開。さらに可能性を求めてニューヨークに渡った。ここは情実とは無関係の実力だけの世界だ。
「きつかった。世界から売り込みに何万人もやってくる。どうかいくぐるか。反応が思わしくなくて、絵をハドソン川に捨てようかとも思った」
苦しまぎれに発想を転換させた。ニューヨークにないものは世界にもない。ないものを求めて画廊を探し歩いた。あった! 鉛筆で描くことだ。「これならオレのモノトーンの世界を描ける」
9Hから9Bまでの鉛筆を駆使。その濃淡で、人物像を肌の艶(つや)、眼光まで鮮やかに白いケント紙に浮かび上がらせる。鉛筆で白い紙に生命を吹き込ませる、鉛筆画家の誕生だ。

生の深い淵から」目次

序に代えて
  生の真理としての眼――小林康夫

・ 最後の瞽女 小林ハルさんの顔
    心の原風景
    現代文明社会への警鐘
    見えてくる色彩

・ 母と娘と自画像と天井画
    母に捧げる鎮魂歌
    感性磨かれた幼児期の体験
    呉羽山追憶
    西湖に浮かべる記憶
    切ない望郷
    うちの親子
    大和路の旅
    寡黙の人
    注連寺の天井画(1)
    注連寺の天井画(2)
    自画像について

・ モデルとの出会い
    偶然の選択と誤解の出会い
    モデルの死
    「痴人の愛」のナオミ
    盲人の一人語り
    ヌードモデルを志願した熟女
    絵を見る気迫、最後まで
    洲之内徹氏の視線

・ ニューヨークとインドの旅 ほか
    ニューヨークで(1)
    ニューヨークで(2)
    アメリカンドリーム
    インドへの旅
    シロの臨終

・ 追悼と評論
    詩人の魂で彩られた作品
    さりながら死ぬのはいつも他人なり
    惜しみても余りある才能
    風狂伝考
    続風狂伝考
    人間探求の原風景
    夭折の画家
    月山借景に鬼気迫る踊り
    「生」を刻む精神空間
    神田日勝の奇跡
    田畑あきら子とアーシル・ゴーキー
    反骨と熱血の人生
    ノルウェーの旅
    窪島誠一郎著『デッサンについて』
    闇におびえる若者

瞽女の”小林ハル”という人。瞽女っていうのは、太平洋戦争以前に新潟地方を中心にして、盲目に生まれた人が三味線と、謳いもあるんですね。謳いは大体浄瑠璃の世界ですけれども、僕らは今聞いても内容もさっぱりわからんですれども、そういうものを中心にしての大道芸ですね。この人100歳なんですけどね。人間国宝です。つまり、最後の瞽女謳の伝承者なんですね。で、その背景は何かというと、この人100年前に生まれて、生後100日目くらいまでに完全に失明しているんですね。白内障で失明。それで、5・6歳くらいまで座敷牢に閉じ込めて隠蔽するのだけれど、それ以上になるとそういうわけにもいかなくなるから、当時の瞽女組織の親方に自分の子どもを売るということをするわけですね。で、売られた子どもはどうなるかというと―。
例えば瞽女宿というところに泊まると、瞽女宿っていうのは、土地の庄屋さんとか大地主とかが屋敷を瞽女宿に提供するということも多かったもんで、良からぬ主人が、夜、瞽女さんに夜這いをする。そうすると、男と交わるということになりますからね。すぐ、破門されちゃうんですね。破門された場合、今更売り飛ばした親の元に帰るわけにもいかんし、かといって一緒に回るわけにもいかんから、全然見ず知らずの土地に行って、自分なりに“離れ瞽女”としての演奏をやるんですけれども、まあ、殆どダメだったみたいですけどね。つまり死を意味するわけですね。

谷崎潤一郎の『痴人の愛』のヒロイン、ナオミのモデルになった輪島セイさんていう人が、5・6年前まで生きていたんですけど、彼女はもう既に点滴で生きている状態だったんですよ。口からものが入らない。94歳だったからところが、僕の絵が完成する直前に意識レベルが上がって、この分だと持ち直すんじゃないかということになったわけですよ。で、その作品を完成させて1週間後に作品を見せるという約束をしたんだけれど、その当日の朝の5時頃になって亡くなった
”小林ハル”さんの話になるが佐渡おけさって言っても、観光用に流れてるような佐渡おけさではないんですね。
瞽女さんってのは10歳前後に三味線と発声練習をやるんですね。で、その発声練習ってのはどういうことをするのかというと、真冬の信濃川…その真冬の吹雪の中で発声練習をやる。肌襦袢一つでやる。そんな姿で発声練習をやるわけです。そうすると、2日目くらいから、喉が破れて血を吐きますね。で、血を吐いたからといってやめるんじゃなくて、血を吐きながら発声練習をそのまま続けていくんですよ。吐くのは血だけ。それでも続けていくと、何日目かに声が出てくる。音楽の他のジャンルで一回声を潰して、また作るという分もあると思うけど、まぁ、それに近いものかもしれません。0度以下になることもあるんですからね。なんでそんなことするかというと、外気の温度と自分の温度とをできるだけ近づけていかないと、本当の瞽女としての喉ができてかない。これはもう、すさまじい世界です

木下晋講演会より)

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