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私の読書感想メモ

Little Tern
ブルック ニューマン (著), Brooke Newman (原著), Lisa Dirkes (原著), 五木 寛之 (翻訳), リサ ダークス

出版社/著者からの内容紹介
ぼくは飛べなくなった鳥。全ては失われた。今までの生き方は残っていない。じゃあ、何のためにここにいるんだろう。ぼくは、ひとりぼっちの一風変わった旅へ…未来へ羽ばたく愛と友情の物語。

内容(「MARC」データベースより)
ぼくは飛べなくなった鳥。すべては失われた。今までの生き方は残っていない。ぼくは、もう鳥じゃないの? 仲間たちとはなれて、ぼくのひとりぼっちの旅が始まった…。現代に新しく飛び立つリトルターン(コアジサシ)の物語。
リトルターンというのは鳥の名前でした。日本語で言うと、アジサシといういう鳥だそうです

本来の自分の能力を失ってしまったコアジサシは、まずいったい何が原因なのかを追及します。羽が傷ついたとか、つまり自分自身の身体的損傷が原因かと確認します。しかし、そうではないようです。翼も羽も脚も尻尾も特に問題はないようです。何度もチェックした結果、治療したり、修理すべき部分は見つかりませんでした。となると、それ以外の原因ということになります。そして、コアジサシは自分自身の内面が壊れてしまった、との結論に達します。何故かはわからないにしても、コアジサシは飛べなくなってしまったのです。そして、それからは、本来あるべき姿ではない「地上での生活」をすることになります。つまり、自分のいるべき場所ではない場所が、それからの場所になった訳です。そして、コアジサシは、飛ぶ能力を失ってしまった自分自身は「鳥」とは呼べないと感じます。鳥ではないのなら、いったい自分自身は何なのか?そう苦悩します。
それがゴーストクラブ(ゆうれいガニ)でした。この不思議な友だちは、このストーリーの中で非常に重要な役割を果たしています。飛ぶ能力を失ってしまったコアジサシに向かってゴーストクラブは言います。
「普通でない君を受け入れるのに、普通でない僕ほど適しているものはいないだろう。きっときみは、自分が知っていることに慣れすぎているんだよ。きみはこれから、自分が知らないことを知る必要がある。それだけのことさ」…黙ってその言葉の意味を考えるコアジサシに向かってゴーストクラブは言います。「きみは飛ぶ能力を失ったんじゃない。ただどこかに置き忘れただけだ」そして、「物をなくすってことは、それが消滅することだ。しかし置き忘れるっていうのは、消えることじゃない。探しだすには、丹念に注意をはらって、気づかなかったことに気づくことだよ」
そしてしばらくしたある朝、コアジサシは海岸の上に輝く太陽に、自分自身の「影」の存在に初めて気づきます。もちろん、物体である以上、影は以前からも存在していた訳ですが、空を飛ぶことが日常的であれば、なおさらコアジサシにとって、「影」は存在しながら気づかなかったものだったのです。コアジサシは思います。「物がそこにずっとありながら、まったくそれに気づかないということは、何と奇妙なことだろう」と。そして高い空を飛ぶために、鳥は翼の下にあるすべての本質を見る必要があること、自分自身の羽や翼がどれほど価値があり、素晴らしいかを知らなくては本当に飛ぶことはできないことに気づきます。…そして、まったく自然にコアジサシはゆっくりと自分の長い翼を大きく広げてふたたび飛び立ちます
五木 寛之からの言葉

「かもめのジョナサン」は、
めちゃ元気のいい鳥の話だった。
彼は困難と冒険をのりきって、
空高くはばたく。
偉大な師との出会いによって、
彼は選ばれた仲間の一羽となる。
衆愚の下界から遠く離れて。
 ところが、この物語の主は
恰好いいカモメなどではなく、
アジサシである。
彼は高く飛ぶどころか、
なんだか訳のわからないままに、
突然、飛べなくなってしまうのだ。
 この主人公は、
どんなふうにその危機を切り抜けて
再起したのか。
そこがこの物語の謎めいた主題である。
思うに二十世紀は高く飛ぼうとする
時代だった。
いまは逆に飛べなくなって
呆然としている鳥たちの時代だ。
そういう時に、
この物語が登場するというところが
おもしろい。
これは必ずしも多くの普通の人に
読まれる本ではないのではないか。
飛べないことで悩んでいる人、
急に飛べなくなって困惑している友に、
この一冊をそっと手渡したい。

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