私の小さな旅、トップに戻ります 私の読書メモに戻ります

プラウザの「←戻るボタン」で戻り下さい

私の読書感想メモ

藤本 明男【著】 回り道の人生―水上勉さんと私
清流出版 (2001-11-12出版)
飾り傘に
一滴文庫の宴
芝居好きな男
奈落の点景
焼却炉の少年
台風の爪跡
大阪の宿
物と心の贈り物
死化粧
藤本明男[フジモトアキオ]
1930年大阪生まれ。大阪学芸大学池田分校卒業。豊中市立各小学校教諭。池田市立五月山児童文化会館所員。
池田市教育委員会青少年指導委員。元「日本学び方研究会」事務局員

寺の布団は大きすぎて、特に冬はなかに入ると布団が体温を吸い取って、体が寒くて体温をかえして
くれるのが朝の4時ごろ。
今でも夜寝るときは棺おけに入ると思うーそうすると朝、生きていて良かったと思える。
「たった一人の少年に」と題する水上勉氏の想いのこもった文章が載せられています。

ぼくはこの村に生まれたけれど、
十才で京都に出たので、
村の小学校も卒業していない。
家には電燈もなかったので、本もよめなかった。
ところが諸所を転々して
好きな文学の道に入って、本をよむことが出来、
人生や夢を拾った。
どうやら作家になれたのも、本のおかげだった。
ところが、このたび、所蔵本が多くなって、
どこかに書庫をと考えたが、
生まれた村に小さな図書館を建てて、
ぼくと同じように本をよみたくても買えない少年に
開放することにきめた。
大半はぼくが買った本ばかりだ。
ひとり占めしてくさらせるのも勿体ない。
本は多くの人によまれた方がいい。
どうか、君も、この中の一冊から、何かを拾って、
君の人生を切りひらいてくれたまえ。
たった一人の君に開放する。
昭和60年3月8日
若州一滴文庫  水上勉


水上勉
瑞春院ー妻がいないのが本当なのに部屋つきの下男になった。
禅宗寺院に不信感を持つ
9歳の時(一説には10歳)、京都の禅宗寺院相国寺塔頭、瑞春院に小僧として修行に出されるが、あまりの厳しさに出奔。
その後、連れ戻されて等持院に移る。 そこでは兄弟子たちからいじめられる。
1936(昭和11)年 3月、花園中学校を卒業。
5月、等持院を出て還俗。下京区八条坊城の伯父の下駄屋で働く。
後、むぎわら膏薬の西村才天堂の行商に従事。
立命館大学の夜間に通う。次第に意欲を失い、十二月に退学。
1938(昭和13)年 3月、西村才天堂を辞め、堀川上長者町の染物屋に転居。
京都小型自動車組合集金人の後、京都府満州開拓青少年義勇軍応募係となる。
8月、はるぴん丸で満州に渡る。奉天の国際運輸会社で苦力監督見習として働く。
11月、喀血。石川病院に入院。
昭和十四年二月、帰国。

1989年、心筋梗塞で倒れ、その後も網膜剥離の手術を受けるなどした
2004年9月8日肺炎の為、長野県東御市で死去。享年85。