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私の読書感想メモ

「不滅の弔辞」編集委員会   不滅の弔辞


有名人の葬儀で読まれた弔辞集
岸信介──中曽根康弘
三星 新一──筒井康隆・矢野徹・新井素子
三船敏郎──黒澤明・千秋実・谷口千吉
土光敏夫──斎藤英四郎
武満徹──河毛二郎・谷川俊太郎
水の江瀧子──三橋達也(生前葬)
シンザン──松山光治
井深大──江崎玲於奈・大賀典雄
収録された弔辞
発行日−1998/03
この国の行方を案じて
司馬遼太郎
(1923年〜1996年)
★陳舜臣
「上本町の大坂外語で知り合ってからもう五十年以上になります。
はからずも同業者として同じ道を進んで来ました。(略)
あなたの大好きな菜の花のそばは春泥で湿っていると思っていましたが、乾い
てしまっていたのですね」陳舜臣
★妻・みどりさん。
「ぐっすり眠っているように見えました。
司馬はいつもいつも、この国の行方を案じていました。
どうぞぜひ、この気持ちをおくみとりくださって。
皆様本当に有難うございました」
漫画の地平を開く
手塚治虫
(1923年〜1989年)
★加藤芳郎
「手塚くんは、十人並みの仕事を急いでやり、前のめりになってあの空へ翔んでいってしまいました。
奥さん、これまで、今夜のような時間はなかったのです。
どうか手塚くんを、ゆっくり休ませてあげてください」
美空ひばり
(1937年〜1989年)
(大腿骨骨頭壊死・慢性肝炎・脾臓肥大)
★北嶋三郎・中村メイコ
「和也がねぇ、どうしても休めって言うの。この状態で仕事をするなんて
絶対に許さないって」そう言ったときのあなたの顔は母の顔でした。
もう一度あなたの笑顔に触れたいと泣いてばかりいる私に和也くんは言いました。「いや充分ですよ。この人、よく頑張ったもの。もう休ませてやりたいですよ。」−中村メイコ。
昭和のトップスタ−
石原裕次郎
(1934年〜1987年)
胸部大動脈瘤
★勝新太郎
ずいぶん前だったけれど一編酒飲んで喧嘩したことがあった。
「表に出ろ!」っていうから「上等だ!」って・・
そしたら「おい芝居にしようよ」って言ったときのあのやさしい目。
そのときのもう、とても普通の俳優じゃできない。
時代にあらがう天才
寺山修司
(1935年〜1983年)
肝硬変による急性腹膜炎
★唐十郎
一瞬にして燃え尽きてしまうようなボクサ−と、明日は屠殺場に送り込まれることを知りながら走る老馬を貴方は人一倍好きだった。
一冊の本を後ろのペ−ジから読む男の話をしてくれましたね。もしかしたら、人生を後ろのペ−ジから生きようとした詩人だった。
「神様{というだけではなく
松下幸之助
(1894年〜1989年)
★谷井昭雄
PHPの京都真々庵で、寺小屋のように机を並べた広間には
「素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く正しく聡明に致します」と書かれたものが掲げられていました。
初のノ−ベル賞
湯川秀樹
(1907年〜1981年)
急性心不全
★湯浅佑一
退官の時の講義では「新しい真理はつねに少数派だが、正しければ、必ず多数派になる」
六年のこえる治療生活を克服したが急性心不全のため死去。
旅する小説家
池波正太郎
(1923年〜1990年)
急性白血病
山口瞳
「俺なんか13歳のときから奉公に出て、ずっと働きづめだった。
それがよう、酒が盃に四杯しか飲めない体になっちまった。・・
いや、もう飲みたくないんだよ」この言葉は私の胸にズシンと響きました。
”鬼”の充実感
土門拳
(1909年〜1990年)
脳溢血で倒れた
★亀倉雄策
三度目の脳溢血で倒れてから十一年間も仮死状態で眠り続けたからだ。
土門の写真は絶えずその時代を切り取る形でテ−ナを選定し、そのテ−マに挑戦し、執拗に追及した。土門ほど弟子にめぐまれている人は少ない。
”女人高野室生寺”の撮影に立ち会った。車イスでの撮影は想像をこえて大変なものだった。

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