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私の読書感想メモ

江戸いろは会 江戸歴史散歩 




徳川家康が天正18年(1590)8月1日江戸城に入城したとき、城は雨漏りがひどく、前面は泥沼のような日比谷入り江で、西には武蔵野の台地と雑木林が広がっていました。まず、物資を運搬する掘り割りを作り、城の修築と城下町建設に全力をあげました。
 慶長5年(1600)関ヶ原の役で東軍が大勝をすると、諸大名は徳川公に恭順の意志を示すため、競って豪奢な江戸屋敷を構え証人を置き、江戸に参勤しました。
 そして、慶長8年家康公が後陽成天皇から征夷大将軍に補せられると、幕府は三代将軍家光公までの間に、譜代と外様の区別無くお手伝い普請を繰り返し、江戸城を大城郭に拡張し、神田山の開削を行い日比谷入り江など沿岸部を埋め立て町人地の下町を造成しました。これにより、江戸は日本の総城下町としての礎を形づくりました

各地で記念行事が行われ、江戸に対する関心も高まってきている。
 そんな中、講談社から発刊されたのが「江戸歴史散歩」(江戸いろは会編・本体1500円)だ
 本書は、エリアごとが普通の類書とは異なり、テーマ別にコースが設定されている。
そのため、歴史のロマンをより身近に感じられるのが特徴だ。
関連した史跡を続けて歩くことにより、江戸に対する関心がさらに高まること間違いなし。
 
テーマ別の散歩コースで江戸を追体験できるガイドブック。
鬼平、赤穂義士、新選組、芭蕉、め組、北斎、彰義隊など、江戸散歩コースをテーマ別に設定。
江戸を彩る大奥の
女たち
竹橋駅−大奥跡−御成門駅−増上寺−深広寺−千駄ヶ谷駅−仙寿院−湯島駅−講安寺−麟祥院−春日局像
−伝通院−護国寺−新井薬師寺駅−新井薬師
竹橋駅−州崎神社−雲光院−蔵前駅−西福寺−日暮里駅−善性寺
(講安寺−麟祥院−春日局像
−伝通院までは坂の多いコ−スで文学の舞台にもなっている。)
新撰組が出世を
夢みた道
日野駅−井上源蔵墓−天然理心流佐藤道場跡−万願寺−土方歳三墓−土方歳三生家−高幡不動産−
野川公園−近藤勇生家跡−近藤勇墓−
新橋駅−板橋刑場跡−近藤勇菩提寺−
後楽園駅−伝通院−牛込柳町駅−天然理心流試衛館跡−六本木駅−沖田総司墓(名前を変えていたが近藤は板橋の官軍の陣屋で、近藤に殺された元新撰組の伊藤甲子太郎(きねたろう)の一味・加納道之助に
「近藤さん」と声をかけられ、正体がばれた。近藤の処罰は薩摩の寛大論に対して土佐は極刑を主張。
斬首された近藤の首は京に送られ、三条大橋で晒され、大阪でも晒された。
・沖田が病死した場所はいろいろな説がるが千駄ケ谷の植木屋平五郎納屋が定説になっている。
忠臣蔵
凱旋の道1
両国駅−吉良低跡−両国回向院−大高源吾の句碑−田原町駅−竹橋駅−平川門−
松の廊下跡−伝奏屋敷跡−長崎屋跡−
新橋駅−浅野内匠頭終焉の地碑−六本木駅−氷川神社
落合駅−功運寺−天徳院
忠臣蔵
凱旋の道2
森下駅−御船蔵跡碑(おふねぐら)−義士休憩の地碑−浅野家上屋敷跡(聖路加病院・敷地の北側、看護大学入り口付近)−間(はざま)新六の供養塔(本願寺)−仙石ホウキ守屋屋敷跡(日本消防会館)−松山藩中屋敷(イタリア大使館になっている)−
水野藍物屋敷跡−細川家下屋敷跡(内蔵助ほか16名の切腹・今はその一部が高松宮邸になっているが不浄門が残っている)−泉岳寺
芭蕉が詠んだ江戸 森下駅−時雨塚旧跡(芭蕉が亡くなって悲しんだ江戸の人たちが長慶寺に塚を建てた)−要津寺(ようしんじ)−旧新大橋−芭蕉記念館−芭蕉稲荷神社−芭蕉史跡展望庭園−芭蕉墨直しの碑−
清澄庭園句碑−採茶庵跡さいとあん・杉山杉風の別荘あとでここからおくの細道で出発した)−
江戸を救った勝海舟と西郷隆盛 両国駅−勝海舟生誕の地碑(両国公園内)−千駄木駅−全生庵(ぜんしょうあん・山岡鉄太郎が建立)−
西郷銅像−神谷町駅−愛岩山−田原町−薩摩藩上屋敷−勝・西郷会見の地碑−
赤坂駅
−勝海舟住居跡(氷川神社の横の元氷川坂・37歳から慶喜が静岡にいくまでここで暮らす)−勝海舟終焉の地碑(今は東洋英和女学院小学部)−
洗足池駅−洗足池−勝海舟夫婦の墓・西郷の留魂祠(勝は77歳で亡くなるが遺言により洗足池に墓をたてる)−
池上駅−理堺院−池上本願寺
上野戦争・彰義隊の
悲劇
桜田門駅−富士見(江戸城)−大村益次郎像(靖国神社内)面影橋−彰義隊首塚(南臓卯院)−
王子駅
−彰義隊碑−南千住駅−寛永寺の黒門(円通寺)−
日暮里駅−経王寺−天王寺−寛永寺−旧寛永寺表門−彰義隊墓所(西福寺)
蔵前駅−彰義隊士の墓

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