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私の読書感想メモ

宇治土公 三津子【著】 作家が綴る心の手紙 死を想う
二玄社 (2003-09-30出版)

行間にひそむ慟哭、悲哀の背後にあるはずの人間ドラマ…
明治の文豪から戦後の現代作家まで、総41名59通の、他者や自己の死を想う手紙、遺書、弔辞を収録。

愛別離旧(夏目漱石が綴る1―嫂への想い;正岡子規が綴る―自己への想い;島崎藤村が綴る
(三女への想い;次女への想い;長女への想い;妻への想い) ほか)
遺すことば(二葉亭四迷が綴る―母、妻への遺書;村山槐多が綴る―遺書;森鴎外が綴る―遺書 ほか)
レクイエム(泉鏡花が綴る―尾崎紅葉への想い;菊池寛が綴る―芥川龍之介への想い;川端康成が綴る―横光利一への想い ほか)

宇治土公三津子[ウジトコミツコ]
三重県宇治山田市(現・伊勢市)に生れる。日本女子大学文学部国文科卒業。1963年、日本近代文学館創設運動に参加(企画委員)。
1995年、同館を定年退職(図書資料部長)。
現在、同館図書資料委員、日本女子大学図書館友の会理事、日本近代文学会会員。
神奈川婦人会館において近代文学を読む会を主宰し、文筆に携わる

島崎藤村ー冬子は藤村不在のおり、幼い3人の男の子が騒ぐ
自宅で7人目の女の子を産むが、子供たちの喧嘩をとめようとして多量の出血。
4人の子供を残して33歳でそのまま永眠。

芥川龍之介ー昭和2年7月24日、自殺した田端の家には養父母と伯母と28歳の妻と3人の子供。
昭和2年4月、帝国ホテルで、妻が話し相手として紹介した平松と心中をはかったが、
平松からの連絡で未遂に終った。妻子の布団に入って死ぬ。

原民喜(たみき)−病妻とともに生き、病妻とともに死ぬ。
広島で原爆を受ける。
中央線、西大久保の駅から250メートルの線路上。三鷹行きの最終電車