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私の読書感想メモ

大石 邦子【著】 この生命を凛と生きる

最愛の母が次第に呆けてゆく。
母を看取り、ともに過ごす最期の日々―。
「悔いのない、人との別れなんてない…」ひたすらに「生と死」を見つめてきた著者が描く人生の哀歓!
どんなに苦しくとも背すじを伸ばし凛として生きてゆきたい。

第1章 母と二人(冬の花火;母を呼ぶ;偽作;待つ;たらちね ほか)
第2章 別れの日々(ひそかな賭け;まぼろしの母;心おいしく;仮免主婦;子もり歌 ほか)
第3章 哀しみを越えて(春新しく;彩ちゃん天使になる;五十回忌;山河慕情;僕もだよ ほか)
第4章 人のぬくもり(ジューン・ブライド;森恵ちゃんと母;少女;握手;ラジオ深夜便 ほか)
第5章 思い出とともに(再会;死のウェディングドレス;いわし雲;母を着る;霊園 ほか)

大石邦子[オオイシクニコ]
福島県の会津に生まれる。1961年、会津女子高校卒。1964年、通勤途中のバス事故で半身麻痺となり、のちに不治の宣告を受ける。
入院中にカトリックの洗礼を受ける。1971年、退院し、リハビリテーションのため熱海に転地療養。1976年、会津の自宅に戻り、
車椅子の生活をつづけながら、現在に至る

二十一歳まで、私も全く健康で、人並みの未来を夢見ていたような気がします。でもある日突
然、私の人生は一変しました。通勤で乗ったバスが、横町から飛び出してきた車を避けようと急
ブレーキをかけ、その時どこをどう打ちつけたものか、私は意識を失いました。
病院で気づいた
時には、もう針の痛みも、お湯の温かさも感じない体になってしまっていました。衝撃にとどめを
さしたのは、排泄の機能もまた麻痺していることでした。一日六回、細いゴム管を膀胱に差し込
んでおしっこを採らなければ、生きていけない体だと知らされたのです。
私はもう人間でなくなっ
たような思いがしました。
人間はなぜこんなになってまで生きなければならないのだろう。病室の天井を見つめながら、
毎日そのことばかり考えていました。体は焼かれるように痛み、麻痺は左半身から右半身、口
元にまで広がってきました。私は本当に疲れ果て、楽になりたいと思いました。楽になるには死
ぬ以外にない。そこで密かに痛み止めの睡眠薬を貯めて自殺を図りました。でも薬には致死量
があって、多くても少なくても死ねない。私は五日間昏々と眠り続け、薬物によって焼かれる苦
しみの中で目を覚ましたのです。そして僅かに残されていた健康な部分、この大切な視力を弱
めてしまいました。

生命は決して単独では存在し得るものではなかった。(講演会より)
ヘルパーさんの暴力・すべては不徳の致す所と耐えてきて、愚痴を言わず、人を責めず、人の
悪口を言ったことがない母。
なるべく一緒にいて怒らないで。人は孤独に耐えられても孤立には耐えられない
母との別れの儀式。