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私の読書感想メモ

安西 篤子 著   老いの思想―古人に学ぶ老境の生き方

順境であれ逆境であれ、老いもまた一つの闘いである。
孔子、世阿弥、武蔵、ゲーテなど、人生の達人はいかに老境を乗り切ったか

西篤子[アンザイアツコ]
昭和2(1927)年、神戸生まれ。横浜正金銀行に勤めていた父とともに、
生まれてすぐに一家でドイツのハンブルク、ついでベルリンに。
ヒトラーが政権を取る前年に帰国。その後、少女期を中国の天津、上海、営口、青島で7年間過ごす。神奈川県立第一高女卒。中山義秀に師事。
昭和40年、少女時代に関心をもった中国の歴史と、その後身につけた知識をもとに描いた
「張少子の話」で直木賞を受賞。また平成5年には「黒鳥」で女流文学賞を受賞。神奈川県教育委員を3期12年をはじめ、神奈川文学振興会常務理事・鎌倉国宝館協議会委員等をつとめる
★孔子は老いにも気づかぬ一途な生き方をしたという。
学生の頃に習ったこの言葉。後半は忘れていた。
◆子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。(学問に対する自分なりの基礎)を確立した
四十にして惑わず。(戸惑うことがなくなった)
五十にして天命を知る。(自分でこの世で何ができるのか。あるいはできないのか、それがわかった)
六十にして耳従う。(人のいうことを素直に聞くことができるようになった)
七十にして心の欲する所に従って、矩を
えず。(心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった
◆「まだ生もわからないのに、どうして死のことがわかろう」