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北海道の炭鉱

産炭地・北海道の歴史は三笠市にある幌内炭鉱から始まった。
道内の市町村は212あるが、市は24を数え、そのうち夕張付近に10もの市が集中していていた。
明治以来、石炭は国の近代化にかかせない一大熱エネルギ−であった。
空知集治監にあった裏山が奈良の三笠山に似ているという、
囚人が望郷の念をこめて当時から三笠山と呼んでいました。


明治12年、幌内煤田開坑
明治22年に北海道炭鉱鉄道会社が設立され幌内、幾春別炭坑を国から払い下げてもらい着々と採炭が進んでいきました。
昭和50年、幌内炭鉱でガス爆発事故が発生し翌々年には再開されますが国内炭の需要低迷のため
ついに平成元年、幌内炭鉱は閉山したのです

赤平市炭鉱

(赤平炭鉱跡地)

住友赤平

上砂川
(上砂川)

★雄別炭鉱

我・故郷・阿寒町にある雄別炭鉱だ。
大正9年に北海炭礦株式会社(雄別炭礦株式会社)創業・昭和5・6年の人員整理やタコ労働、
加えてガス爆発や水害など暗い出来事が続く。
昭和13年、坑口を一つにまとめた雄別通洞が完成。

昭和25年には「黒ダイヤ」と呼ばれた空前の石炭景気を迎えた。
昭和30年代後半には出炭量が60万トンを超え最盛期を迎えました。
昭和40年代に入っても投資を続けていた雄別炭鉱は炭鉱閉山に伴う特別閉山交付金の適用が
昭和45年度までと予定されると突然昭和45年2月に会社の解散を決めてしまいます。
一時は雄別炭鉱周辺の人口は2万人に迫る勢いでしたが昭和45年に急減し、
その後布伏内以北の炭鉱があった地域は無人の地域となりました。
廃墟です。

雄別炭鉱記念碑
雄別炭鉱記念碑

これがなんの跡地なのか?
分からなくて聞いたところ高校の跡地だそうです。
今でも校歌をはっきりと覚えています。
懐かしさと儚さと・・・夢は限りなく膨らんでいました。
釧路市阿寒町

この辺に住んでいました。
この松の木に覚えがあります。
釧路川
釧路川
釧路川  (2003年9月)

 18炭鉱に労務慰安婦

労務慰安婦」は朝鮮人労働者の強制運行が始まった1937年(昭和14年)以降、日本国内から
各地の鉱山の慰安所に送られた女性をさす。

札幌市教育委員会 西田秀子さんの調査によると
「労務慰安婦」は朝鮮人朝鮮人料理店経営者らが、
日本企業からの要請で、鉱山に集めた。

 西田さんが今回の調査の資料の一つとした四〇年当時の国勢調査では、
道内にいた労務慰安婦は少なくとも百人に上った。
二十歳以下が六割を占め、十四、十五歳の少女も含まれていた。
当時の業界団体「日本鉱山協会」が行った鉱山の実態調査に関する資料などと、
当時の新聞記事を照らし合わせた結果、
夕張、美唄など十八の鉱山に慰安所があり、労務慰安婦が働かされていたことを確認。

第二次世界大戦中、労務慰安婦が配置された道内の鉱山は次の通り(西田秀子さん調べ)。

札幌市  豊羽鉱山
後志管内古平町 稲倉石鉱山
美唄市 三菱美唄炭鉱
三笠市 北炭幌内炭鉱・住友奔別炭鉱
夕張市 北炭夕張炭鉱・、北炭平和炭鉱・、三菱大夕張炭鉱
赤平市 昭電豊里炭鉱
歌志内市 北炭空知炭鉱・ 住友歌志内炭鉱
空知管内上砂川町 三井砂川炭鉱
渡島管内森町 大盛鉱山
渡島管内長万部町 静狩鉱山
宗谷管内豊富町 日曹天塩炭鉱
紋別市 住友鴻之舞鉱山
釧路市 春採炭鉱
釧路管内阿寒町 雄別炭鉱

(北海道新聞より抜粋)(北海道新聞2003年9月2日より引用させていただきました)
西田さんは8年がかりで調査されたそうです。
この新聞を読んだときには驚きました。
父が炭鉱に勤務し・雄別炭鉱から空知の炭鉱で働き、そして最期は釧路の春採炭鉱で終わりました。
小さい時に名前だけ聞いた場所が出てきて感動を新たにしました。
思い出の中にいない時間の空間だった父の居場所を尋ねて母から聞いたときの知らない地名。
そういう意味からもこの貴重な西田さまの資料をお借りしたいと思ってこのように引用させてもらいました。
父は落盤で足を怪我したこともあります。
生活を支えるというよりも自分の趣味で女性とお酒の人生でした


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