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北海道の歴史

 北海道の開拓使 

明治政府は明治2年(1869)に開拓使を設け、北海道の開拓を始めます。
それは、サハリンで日本とロシアのとの間で国境を決めていなかったことから争いが続き、
政府も日本の北方地域に関心を寄せざるをえなかったからです
その結果、開拓の中心地に定められた札幌は、短い期間に広い道路を持ち、
洋風の建物が並ぶ近代的な都市となりました。
開拓使は多くの蒸気船を所有して海運の便をはかり、道路を造り、鉄道を敷きました。
新しい産業をおこすために各種の試験場が置かれ、欧米の農作物・家畜・農業機械が入れられ、
資源を生かした製材・ビール・缶詰などの工場が建てられ、炭鉱も開発されました。
また、開拓のための人材を育てるために札幌農学校を開きました。

以上、北海道開拓記念館のHPより抜粋しました
屯田兵って?
屯田兵とはどのような人達だったのでしょう。
五稜郭戦争が終わり(明治2年5月)、国内が新政府によってほぼ統一されると、政府は蝦夷地を北海道と改称して開拓使(未開地域の開拓を行う太政官の役所)をおき、北海道の開拓に力をいれました。
 屯田兵は、
「兵」というその名のとおり軍隊であり、平時こそ開墾に従事しているものの、有事には銃を持って戦う、厳しい規律ある軍団でした。
琴似屯田兵になったほとんどの人達が、明治維新の際「賊軍」とされ、いわれなき差別を受けた東北地方の武士達だったのです(主に仙台藩亘理、次いで会津藩)。
「官軍」と呼ばれた薩摩などの人達が士官として命令を下すなか、東北地方からやってきた屯田兵は、ほとんどが当初、兵卒(軍隊でもっとも下の位)として扱われました。
屯田兵の出身地
(1875年〜1899年
@ 石川県 492人
A 山形県 454人
B 宮城県 378人
C 鳥取県 367人
D 福岡県 360人
E 佐賀県 356人
F 香川県 346人
G 徳島県 337人
H 和歌山県 316人
H 山口県 316人
I 愛媛県 303人
道内37の屯田兵村に
入植者7337人
移住者の出身府県
(1882年〜1935年)
@ 青森県  68855戸
A 秋田県 64067戸
B 新潟県 61636戸
C 宮城県 51831戸
D 富山県 48445戸
E 石川県 47901戸
F 岩手県 40318戸
G 山形県 39009戸
H 福島県 33122戸
I 福井県 27392戸
J 東京都 21862戸

屯田兵は含まれていない。
その他合計717206人