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北海道の歴史

外国人による開拓



ウィリアム・スミス・クラ−ク

1826年から1886年、
アメリカのマサチュ−セッツ州の小さな村に医者の息子として生まれた。
そのころのアメリカは、新しい土地を求めてイギリスからやってきた大勢の
人々によって開拓されていた。
クラ−クもイギリス人の勤勉・努力・宗教を大切にする精神を受け継ぐとともにアメリカ開拓者の冒険好きで何事にも屈しない
精神力とばっぐんの行動力をもっていた。
そして何でも一番だった。
アメリカのアマ−スト大学で鉱物学を学ぶ
高校をトップで卒業。さらにドイツのゲッティンゲン大学に留学し、鉱物学と植物学を学ぶ。
博士号をとる。そして、アマ−スト大学の教授になる。

樹木や植物についても新しい実験を次々に行い高い評価を得るように成りました。
この評判は遠い海を越えて日本にも伝わった。
そのころ明治初期の日本は鎖国という200年もの長い眠りから覚め
回りの国国の動きに驚くと同時になんとかそれらの国々に追いつくために、黒田清隆は動く。
札幌農学校の指導者として来日を頼まれたクラークは、
「よろしい。では他の人が2年でやることをわたしは1年でやってみせます。」
この力強い言葉に黒田は納得し、こうしてクラークは日本に向けて出発した。
米国マサチュ−セッツ農科大学の学長であるクラ−ク博士を札幌に招く計画は1875(明治8)年11月より交渉が始められ、
1876(明治9)年3月3日にワシントンの日本公使館で雇入れの契約が結ばれた。
そしてクラ−クの推薦により教え子のホイーラーとペンハローの2名も雇入れが決り、
彼等3人は同年6月29日に横浜に上陸し、東京に暫く滞在の後、黒田長官並びに東京で新に募集、
採用した官費生10名等と共に玄武丸で北海道へと向い7月31日札幌に到着した

クラークは教育の中で、学生達にたとえどんな労働でもそれに対する報酬をあたえました。
さらにクラークが心を込めて生徒達に教えたことは、聖書キリスト教の教えでした。
その中には、熱心なクリスチャンとして後に有名になる内村鑑三いました。
明治10年4月、来日して10ヶ月後、いよいよ札幌を去る日がやってきた。
島松まで見送りに来た全ての人にクラークは「ビーアンビシャス」と叫び、
「 not for money, or for selfish aggrandizement」 
「少年よ大志を抱け。それは金銭や欲のためでなく、
また人読んで名声というむなしいもののためであってはならない。
人間として当然そなえているいなければならぬ、あらゆることを成し遂げるために大志を抱け」

(北海道百年物語より)




ホーレス・ケプロン
ケプロンは綿織工場を経営する家庭で育ったので、機械工業を学ぶのを好み、25歳で織物工場に監督に迎えられ、その後いろんな工場の責任者になってきました。1832年ワシントン鉄道に建設中、労働者に暴動が起きたとき2000人ものその労働者を鎮圧。30歳のとき砂漠のような土地に緑の畑をひろげることに成功。こうしてアメリカの農業関係者に大きな刺激をあたえっていった。南北戦争のときは将軍として勝利。南北戦争に出陣して陸軍少将に進み、後全米農会の会頭を経てグラント大統領の時、閣僚待遇の農商務長官となっていた。1867年、農務局長として正式に任命。彼自身実際の農夫であるため、農業社会の必要とするものがわかり、自分のエネルギーや才能を全て農業の工場に役立てた。そんな時、日本からの北海道開拓の要請を黒田から受ける。

「日本の宝を探して参ります。ご期待ください」黒田29歳、ケプロン66歳であった。




畜産の父・エドウイン・ダン
1848年〜1931年
「御雇い外国人」エドウイン・ダンは、農業・牧畜のスペシヤリストとして1873年(明治6年)、25歳の時米国オハイオ州から来日。
北海道畜産事業指導の歩を踏み出す。ここで津軽からきた「山田つる」を見初めて結婚し、ダンに日本永住を決意させた。
1876年(明治9年)札幌官園に赴任し、真駒内牧牛場の建設に着手。

1876年(明治9年)真駒内に牧牛場を開く。 
開拓使時代酪農の分野に大きな業績を残したダンが、指導した真駒内種畜場の旧事務所にエドウイン・ダン記念館となった。

エドウイン・ダン資料館
(札幌市南区真駒内泉町)にある。真駒内中央公園。
ダンは日本へ赴任する時、ケプロンの命でシカゴから
肉羊種サウスダン100頭と、
牛42頭を積込んで船で日本へ輸送した。
しかし一言で運ぶといっても、
今のように交通機関が発達してなかった時代。
142頭の家畜を列車と船で運ぶのは並大抵の
ことではありませんでした。
その上家畜を扱ったことがあるのはダン一人しかいません。
20日間もの間、不眠不休で家畜の世話をしました。
家畜は一頭も死なせることなく日本に運ぶ。
ダンと北海遭緬羊との出合いはこの時始った。
エドウイン・ダン
北を向いてたっている。

子牛を背にするダン
 

最愛の妻・つるが28歳の若さでこの世を去る。
40歳のダンは人生に対する希望を失い、アメリカに帰ろうとも思いましたが、一人娘の存在と、彼が愛した北海道の行く末を
日本で見届けたいという気持ちが彼を日本に留まらせた。
(北海道百年物語より)
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