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北海道の歴史
 
アイヌの人たち

 1北の攻防

徳川幕府が江戸に幕府を開いて66年。幕府の支配は全国つつ裏に及んでいた、ところが、江戸から1000キロ離れた「蝦夷地」今の北海道にはまだ
幕府の支配の届かない世界が残っていた。1669年、特に4代将軍家綱の冶世。アイヌの人たちが突然蜂起。
戦いの炎は蝦夷地全体に広がっていく。アイヌ人の人たちのリ−ダ−。
その人物の名はシャクシャイン。
遥か北の蜂起に衝撃をうけた幕府は
強大な軍事力を差し向けここに泰平の世を揺るがす戦いが始まった。
この戦いの背景には知られざる
北の交易をめぐる対立があった。

2 当時、この地は二つの地域にわかれ、最南部には(今の函館)には和人地があり松前藩がおかれていた。それ以外に広大な大地は幕府の支配が及ばない「蝦夷地」であった。シャクシャインを中心に2万人の人が現在の日高の静内町で暮らしていた。松前藩は1604年徳川家康に蝦夷地交易の独占権を公認され立藩した。アイヌの人たちは主に狩猟と採集によって暮らしを立てていた。川を登る鮭、熊や鹿、、豊かな自然の恵みに感謝する心穏やかな民であった。 このアイヌの人たちにはもう一つの世界があった。北の海を舞台とした活発な交易活動である。  彼等は船足の速い船にのって沿岸づたいに船を走らせ、蝦夷地の産物を本州の北部まで運んで行った。最も珍重されたのは蝦夷錦と呼ばれる絹の織物。華やかな竜の文様は中国王朝の象徴である。まさに「北のシルクロ−ド」である
そのようにして得た産物を本州の商人に売りさばいて、収入を得ていた。「刀をさした商人」と呼ばれた松前藩。この松前藩との対立からシャクシャインの戦いは生まれた。幕府は松前藩の許可なくして、本州の商人がアイヌの人たちと交易することを禁じた。「交易の自由を守れ」とアイヌの人たちは決起した。
そして両軍は和人地と蝦夷地との境界にほど近い国縫(長万部町)で激突する。自由を求めた戦いの結末はシャクシャインは謀殺され、歴史の中で消されていった。
4 今の函館空港の付近に志海苔川という細流が流れている。この川砂から砂鉄が取れた。アイヌのいう「和人」の特徴の1つは鉄を作る技術をもっている点であり、このことはほぼ同時代に琉球諸島へ
行った「倭人」の特徴でもあった。
和人の流亡者の移住が盛んで彼らは本土人から「渡り」と言われていた。「渡り」は風俗はアイヌに近く言語は和人に近いと言われていた。室町期になると和人文化を持ち重厚に武装した本格的な渡りが道南にやってきて、主として海岸地方に(江差まで)に点々と館を築いて、割拠しそれぞれ名族の姓を冠して20氏もいたという。反乱になる原因は無数にあった。和人の暴慢な交易のやりかたと態度、それに、和人たちが川で砂金や砂鉄を採取するために水がにごり、アイヌにとって大切な鮭がこなくなるいうことなど、アイヌの生存を脅かすことが多かったはずである
シャクシャイン
コシャマイン
5 各地でアイヌが立ち上がり、和人部落をおそってはこれを殺したが、やがて反乱の広がりが大きくなって、これを統御する指導者が必要になり。東部の族長コシャマインは圧倒的な強さを示した。この結果和人の根拠地はつぎつぎに滅び、今の江差の南4〜5キロの河口にある上ノ国あたりと、もう1ヶ所くらいが残る程度になった。武田信広は、道南の蛎崎村に身を寄せていた。信広は和人をかき集め武勇と謀略でもってコシャマインと戦い、ついにコシャマインその人をうった。古代の蝦夷は勇猛な者,中央政府に従わない者を意味していた。平安時代末期になると蝦夷は“エミシ”ではなく“エゾ”とよばれるようになった。ここでの蝦夷はアイヌ民族を指し,擦文文化からアイヌ文化へ移行したことを示していると考えられている
6 蠣崎慶広は豊臣秀吉から蝦夷島の支配者としての地位を認められ1604年には徳川家康から黒印状が与えられ,アイヌ民族との交易は松前藩の管理下に置かれることになり,蝦夷島の松前地方にまで及んだ。しかし,松前氏は,他の大名のように年貢米を徴収することができなかったので,アイヌ民族との交易によって利益を上げなければならなかった.
18世紀に入ると,藩の特権商人たちが運上金(一種の営業税)を藩主に納めて交易や漁業経営を請負うようになった。これを場所請負制という。請負商人たちは,各場所に運上屋を設け,場所の経営にあたらせた。
アイヌ民族は,不当な交換レートと漁場での強制労働というように,二重の搾取を受けた。アイヌ民族は運上屋や番屋の近くに強制的に移住させられた。また,繁忙期には出稼ぎを強制することも多かった。
場所請負人に対する反抗が1789年のクナシリ・メナシの戦いであったが,2ヶ月後,和人を殺害したとされるアイヌ37人を処刑して終った。
これがアイヌ民族の和人に対する最後の戦いであった。それから時は流れて明治新政府の誕生と共に、蝦夷地は北海道と名前を改め近代化の旗印の下新たな時代を迎える。
8 かってアイヌの人たちが自由に鮭や獣をおった大地には開拓の鍬が下ろされ、何千、何万もの移住者が次々と津軽海峡を渡ってきた。
この時アイヌの人たちは政府によって自分たちの言葉や文化を奪われ、和人への同化を強要されていったのである。
毎年9月、静内ではアイヌの人たちの祭りが開かれている。
アイヌの人たちの誇りに満ちたその精神は今、人々の胸にきざまれようとしている。現在北海道に住むアイヌ民族は24000人といわれている。

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