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山梨県 会いたかったよ「武田信玄」

1131年頃、甲斐国には源義清、清光の親子が入り、甲斐源氏を興します。

16世紀の武田氏は、戦国大名として発展し、甲府につつじヶ崎館や要害城を築き、ここを拠点に四隣経略を進め、天下統一を目指しました。
「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵」との歌に込められた精神は400年以上を県民の心に生きています。
1582年武田氏滅亡後の甲斐国は、織田・豊臣・徳川と支配が移り、江戸幕府の下で、甲府藩(国中)・谷村藩(郡内)が成立しますが、
1724年には幕府直轄地となります。
甲州街道や富士川水運の発達は、物資の流通や文化の流入を促しました。
江戸時代には、乏しい農産物や日用品を背負った甲州商人が全国に足を運んでいました。
(2013年1月18日)

http://www.pref.yamanashi.jp/japanese/tourism/history/index.html


山梨と静岡の間にたっている
ここからみた富士山が千円札の富士山だといわれます。

一番深い湖だと言われています
甲府と太宰治


「きれいに文化のしみとおっているまちである」と太宰が記した甲府は、
二人目の妻、美知子と新婚生活を送った地である。
20代の太宰は、小説家として認められない焦燥感と苦しんでいた。
師の井伏鱒二は、見合い話をもちかけた。
甲府に住む石原美知子。地元の女学校で先生をしていた。
昭和14年、井伏宅で式をあげ、甲府に住んだ

ガイドブックにのっていた「ほうとう」の美味しい店
「奈良田」

小麦粉を原料とする郷土料理のほうとう
この「耳」の形に似て作られた。

会いたかったよ。「武田信玄」

つるしびな

甲府城(こうふじょう)は、山梨県甲府市にあった城である。
別名、舞鶴城(まいづるじょう)。

武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、
甲府城を築城して新たに甲府城下町が整備された。
豊臣政権では徳川家康を牽制する要所、
江戸時代では将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城となった。

躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄を祭神とする。
カチカチ山 残念ながら営業しておりませんでした。
カチカチ山 カチカチ山

鳴沢氷穴(なるさわひょうけつ)
山梨県南都留郡鳴沢村に立地する溶岩洞。
総延長156メートル、幅1.5-11メートル、高さ1-3.6メートル。
1929年(昭和4年)12月17日に旧文部省により天然記念物に指定された

鳴沢氷穴 鳴沢氷穴
鳴沢氷穴

氷穴内には氷の貯蔵庫がある。この貯蔵庫は、かつて江戸時代には献上するための物品として、大正時代には冷蔵庫の氷など、様々な用途で使われていた。
現在は用途が無いため、毎年冬に四角い氷を作り再現している。

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