私の小さな旅 北海道の文学碑と歴史に戻ります私の小さな旅 旅のアルバムのトップに戻ります

一度目は大学時代、太宰治の「人間失格」の土壌をさぐっての旅できました。
二度目は苫小牧からフェリ−に乗って母の故郷への旅、三度目は埼玉に住む叔父さんの元に家族で行きました。
全部まとめて東北にしました。

青森の旅  1999年

金木は私の生まれた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、これという特徴もないが、どこやら都会風に気取った町である。善く言えば、水のように淡泊であり、悪く言えば、底の浅い見栄坊の町ということになっているようである・・・(小説「津軽」より)
明治の大地主、津島源右衛門(太宰の父)が明治40年に建築した入母屋造りの建物で米倉に至るまで全て日本三大美林のヒバを使い、部屋が19室ある。 太宰は青森中学校に進学する少年期までこの家で大家族と過ごした。昭和25年から資料館を併設した旅館「斜陽館」として観光名所となる。本名・津島修治 昭和14年の石原美知子 と結婚後、「走れメロス」『津軽』など秀作を次々と発表。 学生時代の左翼運動の挫折に加え、4度の自殺未遂とパビナール中毒による自虐的な苦しみが作品に影を落とす。昭和23年(1948年)6月13日夜半、玉川上水に入水。遺体は19日に発見された。相手は山崎富栄。
(青森県観光情報サイトより)

      


弘前城は、津軽統一を成し遂げた津軽為信によって慶長8年(1610)に計画され、2代信牧が慶弔15年(1610)に着手し、翌16年に完成しました。以後弘前城は、津軽氏の居城として廃藩に至るまでの260年間、津軽藩政の中心地として使用されました。。
桜が満開の時に行きました。お堀に桜が散ってきれいでした。だけどこうして改めてみたらとても小さくて驚いています。こんなに地味だっかな。さくら、、さくら、、いっぱいでした。
弘前城
言わずと知れた霊場。火山性ガスにより枯れた木が並び、硫黄が  吹き出た地面には草も生えない。その光景は地獄にたとえられ、死者の 魂の集まる所とされている。日本三大霊山(恐山、高野山、比叡山)、日本三大霊場(恐山、白山、立山)、日本三大霊地(恐山、立山、川原毛)の一つで、862年に慈覚大師 が開山したと言われています。一度見てみたいと思って下北半島一人旅をしました。恐山はおどろおどろしいというよりも山中にあるだけに妙に寂しい場所が存在していました。 恐山
(恐山)陸奥市のHPより写真をお借りしました。
    十和田湖
(十和田湖)
十和田市HPより写真をお借りしました。
 高村光太郎の像がたっています。
 奥入瀬はとてもきれいでした。典型的な二重カルデラ湖で、周囲44km、最深部は327mで、秋田県の田沢湖、北海道の支笏湖に次いで3番目の深さ。透明度は12.5m。形成は20万年前に遡る。支笏湖が一番だと思っていたら違っていました。とても残念で悔しいけれど十和田湖はきれいでした。

岩手県
母の故郷

宮沢賢治記念館 宮沢賢治の学校
花巻市矢沢1−1−36

宮沢賢治記念館
世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない。賢治
レストラン「山猫軒」
お土産の袋に印刷されていました。
宮沢賢治記念館 宮沢賢治記念館
風の又三郎
宮沢賢治記念館 宮沢賢治記念館

宮沢賢治がこよなく愛した「てんぷらそばとミツヤサイダー」

朝のドラマ(あまちゃん)の舞台 2014年11月24日

NHKが2012年(平成24年)6月4日の記者発表で概要を明らかにした。宮藤官九郎の脚本によるオリジナルストーリー

久慈 あまちゃんの舞台 久慈 あまちゃんの舞台
久慈 あまちゃんの舞台
まめぶ汁
久慈 あまちゃんの舞台
久慈 あまちゃんの舞台
あまちゃんの舞台 久慈 あまちゃんの舞台
あまちゃんの舞台
つりがね洞
あまちゃんの舞台
あまちゃんの舞台
小袖海岸
あまちゃんの舞台
久慈琥珀博物館
久慈琥珀博物館
岩手県久慈市小久慈町19-156-133
久慈地方産の琥珀は、中生代白亜紀後期というまさに恐竜時代に属するものです。
近年、この琥珀中からも昆虫化石が相次いで発見され、古生物学はじめ遺伝子工学の研究者らの注目を集めています。
琥珀とは、数千万年〜数億年前、地上に繁茂していた樹木の樹脂が土砂などに埋もれ化石化したもので、いわば「樹脂の化石」。
久慈の琥珀は、約8,500万年前のもので、南洋スギ(学名アラウカリア)が起源樹種と考えられており、
商業価値として用いられている最も古いものなのです。
琥珀のもとになった樹木ですが、“樹脂”というと、“松ヤニ”を連想します。
しかし、実際に琥珀のもとになった樹木は広葉樹から針葉樹までさまざまです。
時代によっても、もとになった樹木の種類は異なり、現生の樹種もあれば、絶滅した樹種もあります。
久慈琥珀博物館
中尊寺
12世紀のはじめ、奥州藤原氏の初代、清衡公は父を失い、後三年の合戦によって妻子を失うという波乱の半生を省みて、戦争て命を失った敵・味方の人々、さらに動物から草木に至るまで等しく供養し、戦争のない平和な社会をつくりたい、という願いをこめて中尊寺を建立しました。奥羽の経済は、辺境と言われていたにもかかわらず飛躍的な発展を遂げるのである。そして清衡には、もう一つの精神的な基盤があった。それは仏教に対する強い信仰心である。堂内には、およそ1200年燈り続ける「不滅の法燈」が総本山の比叡山延暦寺より分火されて、護持しています。
合戦で亡くなった人々の霊を慰めるために多くの堂塔を運営
世界遺産です
中尊寺
松尾芭蕉 奥の細道松尾芭蕉松尾芭蕉 松尾芭蕉
松尾芭蕉
は、この金色堂に立ち寄った際に
「五月雨の降のこしてや光堂」という句を詠みました。
「おくのほそ道」の旅から300年目を迎えた平成元年、平泉では「奥の細道300年 平泉芭蕉祭」が行われ、中尊寺金色堂の旧覆堂脇に芭蕉像を建て、
高館の頂に上の句と「平泉」の章段を刻む「おくのほそ道」記念碑を建てた。
高館は、中尊寺の東南にある丘陵で、判官館または衣川館と呼ばれる。
高館は、その昔源義経が藤原秀衡を頼って下向した時に居城したところで、秀衡の子泰衡によって家臣や妻子もろとも討たれたところでもある。
芭蕉は、元禄2年(1689年)の夏、曽良とともにこの高館を訪れ、義経主従を通して「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んで人の世の興亡を儚んだ。
http://www.bashouan.com/psBashouPt18B03.htmより引用しました。

宮城県

松島

万葉の昔より歌枕として用いられ、みちのくを代表する名勝松島が「宮島」「天橋立」 と並び日本三景の一つと言われたのは1714年ごろ(正徳四)、江戸幕府の儒学者林羅山の三男である林春斎がその著書 「日本国事跡考」において、「日本三処奇観」と記したのに始まります。 俳聖芭蕉が奥州行脚する目的の一つとした松島は、奥の細道の中で「松嶋の月まず心にかかりて」 とありますようによほど気にかかっていたようです。また、芭蕉が詠んだ句と言われる「松島やああ松島や松島や」は、後にできた逸説のようです。
瑞巌寺(ずいがんじ)は、宮城県宮城郡松島町の日本三景・松島にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
瑞巌寺
松島
松島
松島
松島 松島
松島

松島

ホテル松島大観荘
仙台
仙台
    
伊達政宗
仙台城跡(青葉城跡)
伊達62万石の居城、仙台城(青葉城)。標高120m、東と南を断崖が固める天然の要害に築かれた城は、将軍家康の警戒を避けるために、あえて天守閣は設けなかったといわれます。残念ながら今では城は消失し、石垣と再建された隅櫓が往時をしのばせるのみ。

伊達政宗
伊達政宗 伊達政宗

石巻
石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 1998年〈平成10年〉1月28日)は、日本の漫画家、特撮作品原作者。
本名、小野寺 章太郎(おのでら しょうたろう)。1984年までは石森 章太郎の表記を用いたが、この時期には「いしもり?」と呼ばれるのが通例だった。
代表作は『サイボーグ009』、『ロボット刑事』、『さるとびエッちゃん』、『マンガ日本経済入門』、『HOTEL』など。仮面ライダーシリーズを始め特撮作品の原作者としても活躍。
SF漫画から学習漫画まで幅広い分野で作品を量産し「漫画の王様」、「漫画の帝王」と評された。
1989年、漫画には「面白い、おかしい」だけではない多数の表現が可能になったとして、漫画の新しい呼び名「萬画」を提唱し「萬画宣言」を発表。以降は自らの職業を「漫画家」ではなく「萬画家」と称した。

石ノ森 章太郎 石ノ森 章太郎
トキワ荘
石ノ森 章太郎 石ノ森 章太郎
石ノ森 章太郎

2011年3月11日
がんばろう!石巻

秋田県
田沢湖

秋田県仙北市にある淡水湖。日本で最も深い湖である。その全域が田沢湖抱返り県立自然公園に指定されており、日本百景にも選ばれている景勝地である。
1956年(昭和31年)から2005年(平成17年)まで存在した自治体である田沢湖町の名の由来であり、現在も旧田沢湖町の区域の地名冠称として使われている。
真冬でも湖面が凍り付くことはない。そして、深い湖水に差し込んだ太陽光は水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩るといわれており、
そのためか日本のバイカル湖と呼ばれている。

田沢湖
たつこ像
永遠の美貌を願い龍になってしまったというたつこ伝説
高村光太郎門下の彫刻による
田沢湖

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