リラ冷えのまち・恋のまち札幌− 563万2,133人(平成17年3月31日 住民基本台帳)
札幌ド−ム(豊平区羊が丘1) 敷地面積:306,458m2/ 天井高さ:68m/ 人工芝、両翼100mセンタ−122m 東京ド−ムがすっぽり入ってしまう広さを持つ 展望台が設けられているのが札幌ド−ム。 トンネルのような形をした展望台は、足元あたりから天井まで すべてガラスばりなので宙にういているような気持ちになる。 |
札幌藻岩山展望台 札幌は人口180万人を有する政令指定都市。 もいわ山は『インカルシペ(いつもそこに上って眺望する所)』 というアイヌ語名を持つ。 国の天然記念物に指定されている原始林は大自然の宝庫であり、 四季折々の表情を見せてくれます。 山頂展望台からは札幌の街並みをはじめ、雄大な石狩平野や 石狩湾が広がり、遠くには雄大な山々が連なる絶景が楽しめます。 (清盛さまからお借りました) |
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北海道には古くからアイヌの人々が住み、独自の文化と歴史を持って自然の恵みを中心とする生活をおくっていました。本格的な開発が始められたのは明治時代になってからです。 日本では北端に当たりますが、世界ではアメリカ、ヨーロッパの主要都市とほぼ同位置にあります |
遠くに見えるのは札幌ド−ム(JRタワーから市内を見る) |
T・30 2003年3月、札幌の新名所として誕生したT・38(中央区北5条西2丁目) 現在、市内で一番高い建築物であるJRタワ−の38階に設けられた展望台 ユニ−クなのは「眺望化粧室」で札幌の街を見下ろしながら用がたせるが 男性のみ。 JRタワ−は地上38階・地下階で173メ−トルで道内最高の高さである。 (関係ないけれど富良野駅は標高170・陸別駅では208・9) |
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羊ヶ丘展望台のクラ−ク博士 羊ヶ丘展望台のクラ−ク博士 青々とした牧草地で、のんびりと草をはむヒツジたち。 そんなのどかな牧歌的展望を楽しめるのが さっぽろ羊ヶ丘展望台(豊平区羊ヶ丘1) 周辺はかって「種羊場」と呼ばれた羊の増殖施設でしたが、 昭和34年に展望台を設置。 28歳の高村光太郎が精神の危機を感じて、北海道移住を志し、羊ヶ丘種羊場の研究員になったのは明治44年、5月。 「半日働いて半日、絵を書くなどという甘い考えなどは夢にすぎない」ことがわかって、二ヶ月に満たない月寒生活から東京に戻る。 間もなく光太郎は智恵子と会う。 |
大通公園 とうきびワゴン |
老三樹 樹齢200年のセンの木、1300年の桑、600年の桜が根が一緒。 北海道の名木として指定されている。 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺町 役場の隣 |
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清華亭(札幌市有形文化財) |
開拓使時代の洋風建築 和洋折衷様式の建物 貴賓接待所として活躍しました。 1880年(明治13年) 北区北七条西七丁目 |
上ることができ、展望ラウンジからは札幌市街や雄大な石狩平野を一望できる。 |
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札幌市時計台 (中央区北1条西2丁目)(重要文化財)清盛さまよりお借りしました。 |
正式名称は「旧札幌農学校演武場」。 三角屋根の上に大時計を載せた特徴的な外観の建築物。 かつては札幌市の図書館として使われていたこともある。 敷地、及び、建物は札幌市が管理運営しており、北海道庁赤レンガ庁舎と並び、札幌市中心部の有名観光スポット。 大正13年に札幌を訪れた詩人、北原白秋は北1条通りのアカシアと時計台と生誕地、柳川のイメージを重ね合わせて「この道」を作詞、昭和2年に山田耕筰が作曲。 この道はいつか来た道 ああ そうだよ あかしやの花が咲いてる あの丘はいつか見た丘 ああ そうだよ ほら 白い時計台だよ この道はいつか来た道 ああ そうだよ お母さまと馬車で行ったよ (1878年、明治11年建立) |
北海道大学のイチョウ並木 |
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さっぼろテレビ塔 札幌のランドマ−クタワ−といえるさっぼろテレビ塔(中央区大通西1丁目) 高さ147・2メ−トル。その名の通り、 テレビ電波の発信を目的に昭和32年に建設された。 展望台はオ−プン当時から地上90・38メ−トルの位置にある。 ぐるり360度の大パノラマが広がる。 画像右 大通公園のイルミ とてもきれいです。 |
清盛さまよりお借りしました。 |
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2009年 WORLD BASEBALL CLASSIC モメリアル WBC優勝記念展示品 平成21年5月1日〜3日 平成21年5月8日〜10日 札幌ドーム 日本ハム 稲葉選手のユニフォーム 北海道札幌市で1972年2月3日から2月13日まで行われた冬季オリンピック。 日本およびアジアで初めて開催された。 |
' 09 WORLD BASEBALL CLASSIC 2009年3月優勝 |
コンサートで訪れ、ラーメン好きで有名なサザンの桑田佳祐さんが絶賛。 桑田さんから聞いた福山雅治さんが2009年の7月のコンサートで美味しいとほめました。 札幌オリンピックがあった真駒内のアイスアリーナのレストラン 「雪の五輪」の味噌ラーメン。 場所ー真駒内セキスイハイムアイスアリーナ |
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札幌雪祭り 雪まつりは、1950年に、地元の中・高校生が6つの雪像を大通公園に設置したことを きっかけに始まりました。 1953年には、高さ15メートルの大雪像「昇天」がはじめて作られました。 1955年には、自衛隊が参加し、大規模な雪像づくりに挑戦。 第10回開催の1959年には雪像制作に2,500人が動員、はじめてテレビ、新聞でも紹介され、 翌年からは本州からの観光客も増えて大盛況となりました。 こうして、札幌の雪まつりから日本の雪まつりへと発展していきました。 http://www.snowfes.com/contents/about/history.html |
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2006年札幌雪祭り 法隆寺金堂 |
2010年雪祭り 「韓国・百済王宮」 |
2007年札幌雪祭り 国宝 彦根城 |
YOSAKOIソーラン祭 |
(2008年撮影) |
1991年8月、南国高知のよさこい祭りを目にした1人の学生は、その街中に響き渡るよさこい節と鳴子のリズム、同年代の若者がイキイキと踊っている姿に鳥肌が立つ思いをしました。「こんな祭りが自分の住む北海道にあったら・・・!」その夢の実現の為に100名以上の学生が集まり、社会にぶつかっていきました。そして、92年6月、10チーム1000人の参加者、20万人の観客に支えられて第1回YOSAKOIソーラン祭りが開催されたのです。
「街は舞台だ」を合言葉にこの祭りは急成長。 2008年第17回YOSAKOIソーラン祭りでは、330チーム、33,000人が参加し、期間中の観客動員数は202万4,270人を数え、祭りにおける経済効果も245億2,135万円にのぼりました http://www.yosanet.com/yosakoi/history/outline.php |