[水の都] 歴史ある街道の起点の旅

大阪、神戸、姫路

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更新日平成15年9月15日

大阪城大阪城、、
「戦国の女たち」の企画を大阪城でしてると聞いてたまらなく見たくなって修学旅行以来、始めて大阪城を訪ねましたサブタイトルは-それぞれの人生-でした。大政所から始まって「豊臣家の女たち」
お大の方からの「徳川の女たち」そして「戦国武将の女たち」の三章からなっていました。
天正11年(1583)、秀吉は石山本願寺跡に大坂城の普請(築城工事)を開始した。
一般には日本のお城のシンボルは天守閣であるが、空にそびえる大天守が初めて作られたのは織田信長の安土城である。信長の後継者を自認する秀吉は、安土城をモデルとしながらも、すべての面でそれを凌駕することをめざした。
 秀吉創建の大天守は外観5層で、鯱瓦や飾り瓦、軒丸瓦、軒平瓦などに黄金をふんだんに用いた。
また、秀吉は自ら好んで多くの来客に本丸内を案内してまわり、金銀の装飾にあふれた奥御殿の内部、
大天守の各階に納められた財宝の山など、空前の富の集積を誇示して来訪者を驚嘆させた。
秀吉の大坂城は、本丸の築造に約1年半を費やし、その後も秀吉が存命した15年の全期間をかけて、
徐々に難攻不落の巨城に仕上げられた。また、城づくりと同時に町づくりが行われ、
秀吉時代の大坂は近世城下町の先駆けとなった
車の運転のすごさに驚きました。
どんなところにも車は停まっているし、
数もすごいしやはり大都会だった。


大阪府章

太閤さんの「千成びょうたん」を図案化したものです。大阪(OSAKA)の「O」を基礎にして、希望(明るく)・繁栄(豊かで)・調和(住みよい)を上に伸びる3つの円で表しています。昭和43年6月21日の「府政100年の日」に定められました。(otaさまより教えて頂きました)面積は約1890平方キロメートルで全国土の0.5%しかなく、都道府県で2番目に小さいですが、人口は約880万人と全国の7%を占め、東京都の次に多くの人が居住しています



司馬遼太郎書斎
司馬遼太郎氏書斎(東大阪市)

                                                                                                                           
大阪公会堂
きれいでした。とても感動しました。個人の持ち物だったらしいです。
田舎者の私には眩しい光りが、今でもため息が出ます。
(大阪公会堂)


★ 宇治川と桂川と木津川の合流地点
宇治川と桂川と木津川が合流するところが見たい。そ
れにはどうしたら良いのか?
どこに行ったら見れるのか?
そんな単純な気持ちで道を横切り、ぬかるんだ道で靴をぼろぼろし、
枯れた木や笹で買ったばかりのコ−トを傷つけ、
そして何度も転びながらこの合流地点を捜し求めました。
地図を頼りにしながら。
残念ながら高い所から写した写真ではないから、平面的になっています。
どこが合流なのか?
きっと見てもわからないでしょう。苦労して撮りました。
そっとそっと大事に私の心の宝石箱にしまいます。
色をつけて見ました。わかるでしょうか?
大和郡山城

大和郡山城

一の谷 一の谷、鵯越

USJ(2015年1月)
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
異なる表情を持つさまざまなエリアは、感動がいっぱいの別世界。
ハリウッドの超大作 映画をテーマにした興奮のライドや人気キャラクターたちのショーなど、子どもから大人 まで楽しめる、ワールドクラスのエンターテイメントを集めたテーマパーク。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン ハリー・ポッター
ハリー・ポッター
ボグワーツ城
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン

あべのハルカス
あべのハルカス(Abeno Harukas)は、大阪市阿倍野区に立地する超高層ビル。阿部野橋ターミナルビルの中核を担っている。
2010年(平成22年)1月9日に着工され、2014年(平成26年)3月7日に全面開業した。
地上60階建て、高さ300mで、日本で最も高い超高層ビルであると同時に、日本初の「スーパートール」(高層ビル・都市居住協議会=CTBUHの基準による300m以上の超高層建築物)である。
また、日本国内の構造物としては東京スカイツリー (634m)、東京タワー (332.6m) に次ぐ3番目の高さ(西日本で最も高く、全国においても東京23区以外で最も高い)である。

あべのハルカス あべのハルカス
ハルカス君

神戸

首都が東京に移転するまで、1000年以上にわたって日本の中心地でした。

 このため、関西には多くの神社・仏閣、史跡が残されており、国宝や重要文化財も全国の半数を占めています
古代から港町として発展してきた神戸は、天下の台所・大阪を控えて海上交通の要所であると共に、 西国街道沿いの宿駅でもありました。
豊臣秀吉は有馬温泉をこよなく愛し、何度も訪れたと伝えられています。 また、江戸時代には自然条件を活かした酒造りが発展し「灘の生一本」として全国に 知られました。
長い間鎖国政策をとっていた日本ですが、ペリーやハリスの来航により開国を迫られ、日米修好通 商条約(1858年)により1868年に神戸が開港されます。
開港後は、現在の北野地区に外国人居留地が設けられ、衣食住から娯楽や文化などあらゆる面で欧米の生活様式が持ち込まれ、
神戸はいち早く文明開化の洗礼を受けて国際貿易都市として発展します。日本最古の歴史書「古事記」に書かれている神話によると、
「淡路島」は日本で最初にできた島と伝えられており、この地方が日本文化の形成に大きな役割を果たしてきたことが想像されます。

神戸港
ポートタワーとホテルオークラ
(画像は清盛さまからお借りしました)

神戸港のシンボル、ポートタワー 神戸
神戸 神戸港のシンボル、ポートタワー

姫路城
外観が、白鷺が羽を広げた美しい姿にも見える事から、別名「白鷺城」とも呼ばれています
姫路城は、平成5年12月に奈良の法隆寺とともに日本で初の世界文化遺産に登録されました姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、
北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。
一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた
小寺氏]の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある。
戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、
関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。(画像は清盛さまよりお借りしました)

姫路城 姫路城

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