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めんそ−れ沖縄。
トロピカルな海と青い青い空と戦争の悲惨さを感じる旅。

 更新日平成15年12月

古いアルバムをみていました。1998年2月
B’Zのコンサ−トが沖縄コンベンションセンタ−であるのを利用して沖縄に行きました。
それはそれは期待を裏切らない旅でした。
沖縄は第二次世界大戦のとき、米軍の本土上陸を一日でも長く阻むための持久戦として
県民が根こそぎ動員されたところである。


万座毛
隆起珊瑚礁からなり、海崖は20前後の断崖。
海崖上は、天然芝で覆われた平坦な地となっている。尚啓王が、万人を座するに足りる毛(野原の意味)と
讃えたのが地名の由来とのこと。
西側の本部半島は古生代の石灰岩からなる山地で、
沿岸には琉球石灰岩が発達している。
地下には多くの洞穴が形成されている。
沖縄戦で従軍看護婦として犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の遺骨を祀った慰霊塔。
併設の資料館には学徒隊の遺品や資料が展示されています。「お母さんさようなら」
このように亡くなっていった少女達に涙が出ました。
沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の女子学徒隊219名は、
補助看護婦として南風原陸軍病院に動員され123名が犠牲になった。

ひめゆりの塔
首里城 首里城
首里城 首里城

あざやかな色彩、石の高欄、龍の装飾などは中国の影響。龍は国王の象徴です
2000年には1992年に復元された首里城復元を含む城跡が世界遺産に指定された。
首里城
14世紀から16世紀にかけて、沖縄は「琉球王国」という独立国家を形成しており、
中国や東南アジア諸国との活発な交易を通して、日本本土とは異なる独自の琉球王朝文化が花開きました。
琉球王国は、中国をはじめ、日本、朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通して海洋王国へと発展しました。
そしてその政治・経済・文化の中心となったのが首里城だったのです
 それ以降450年間、王国は存続しましたが、明治維新により成立した日本政府が軍隊を派遣、
首里城から国王尚泰(しょうたい)を追放しました。そして、沖縄県の設置が宣言され、琉球王国は滅亡したのです。

ぐるぐると回って、、まるで迷路のよう。
そこに現れたこの朱首城には感激しました。

首里城守礼の門
平和記念塔
平和祈念像
宗教や思想,政治や人種,あるいは国を超えてすべての人が
戦没者の慰霊と平和の一点に力を合わせていこうということを
10本の指を合わせた合掌の形に表現されております。
ここで「千羽鶴を折ってください」との案内に従って小さな小さな鶴を心を込めて折りました。
そしていつまでも平和であれ!との願いを込めて署名もしてきました
海洋記念公園 都市緑化植物園
琉球村では琉球の着物を着てハイビスカスの花をつけて記念の写真を撮ったり
グラス底ボ−トに乗って海底のきれいな魚をみました。
朝から夕まで走り回ってバス観光は楽しかった。

いたる所に米国の基地がありました。
しかもその規模は大きさには驚きました。
映画でみるような外人さんがあっちにもこっちにも?いてここは本当に日本の国なのか?って思いました。

そのせいで肝心のコンサ−トには前から7列目だったのに遅くなってしまって
コンベンションにはハイヤ−でかけつけました。
その時に沖縄の三越で買ったジ−ンズは今はもう、太ってしまってはけなくなったけれど
記念にタンスの奥深くにしまってあります。

沖縄美ら海水族館
沖縄美ら海水族館

大人1,850円

沖縄美ら海水族館
沖縄美ら海水族館

沖縄美ら海水族館

ジンベイ鮫
これまで困難とされてきたジンベエザメの複数飼育。
沖縄美ら海水族館では、その世界最大級の水槽で、
ジンベエザメの繁殖を目指した複数飼育を実現しました。
沖縄美ら海水族館
世界最大のエイの一種、ナンヨウマンタ
繁殖に成功させたのは世界初だそうですよ
沖縄美ら海水族館
オキちゃん劇場
イルカの優れた運動能力を生かして、
オキゴンドウやミナミバンドウイルカたちが楽しいショーを繰り広げます
沖縄美ら海水族館 沖縄美ら海水族館
ハートロック
嵐で有名になったハートロック


今帰仁城跡とは、沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスクです。
世界遺産にも登録されたグスクは、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で
約1時間30分の距離にあります。

今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。
堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。

世界遺産攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。
今帰仁城跡(なきじんじょうせき)
今帰仁城跡(なきじんじょうせき)
今帰仁城跡(なきじんじょうせき)
志慶真乙樽(シゲマウトゥダル)
美女伝説、志慶真乙樽(シゲマウトゥダル)
志慶真乙樽は今帰仁城の後ろにある志慶真ムラに住んでいました。
黒髪も麗しく、あまりに美しいので、国中のうわさになりました。
時の今帰仁城の王様は城内に召しよせ、志慶真乙樽は
王様のお世話をすることになりました。
一生懸命王様とお妃に仕え、平和な月日が過ぎていきました。
ところが、王様は高齢になったのに世継ぎがありません。
志慶真乙樽は世継ぎが授かるように、毎日祈願をささげました。
やがて、王妃が世継ぎを授かります。
忠誠と慈悲にあふれた志慶真乙樽はのちに神様といわれるようになり、
今帰仁御神(ナキジンウカミ)と呼ばれるようになりました。

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