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玄海灘と博多ロマンを求めての旅

福岡よことこ! 福岡から唐津の旅
    (2003年1月)  

飛行場から地下鉄で中心地まで行けるのには感心しました。
「西鉄」って言葉にもなじみがなかったけれどこの街では当たり前だけど良く目にしました
「中州の夜」もみました。
屋台のラ−メンを食べてみたけどやっぱり地元の札幌ラ−メンが美味しいと思いました。

 福岡城跡
 「福岡城跡」多聞櫓 
 
慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて、
初代福岡藩主・黒田長政によって築かれた「福岡城」。
福岡城跡として国指定史跡
福岡城跡
本丸表門と裏門の別れるところ
博多の夜
博多の夜
唐津
唐津 かつらくんち 毎年11月2日から4日にかけて行われる
「かつらくんち」の曳山資料館。
きれいにとれてなくて残念です。
「漆の一閑張」という工法で作られ、本体を木組みし粘土の原型や木型の上に和紙を数百枚貼り重ね、麻布等を張り、幾種類もの漆で塗り上げ、金銀を施して仕上げたもので、各町莫大な費用をつぎ込み、2〜3年がかりで作られたと伝えられる。
「義経」とか「信玄」の名前をつけたものがありました。「かつらくんち」の曳山資料館。
曳山は毎年11月3日から4日に行われている。
重さ2〜4トンもある曳山が轍も深く競い合い、死力を尽くす、その姿は数万の観衆を魅了します。


松浦川の河口にそびえる唐津城は、秀吉の側近、唐津藩初代藩主寺沢志摩守広高が慶長7年から築城し15年に完成させた城です。東に虹の松原、西に西の浜の松原を翼に見立てて「舞鶴城」ともいわれます 唐津城
玄界灘 「小倉生まれで玄海育ち」と歌の文句に!男臭さが漂う!どことなく好きで興味を持っていました。
だから妙にこれが「玄海灘」だ!
それだけで感激してしまいました。
この付近の呼子の魚、特にイカは有名らしいです。「いか御膳」を食べたけれど生きて動いていました。
寒い寒い日であられが降っていました。
夏はここでとれた魚介を焼いて食べるそうです。
確かに人はあんまりいなかったです。
九州も寒いたい!
虹の松原 虹の松原
  
ここは、美保の松原・天橋立とともに「日本三大松原」の一つに数えられ、全長約5キロメートル、幅約1キロメートル。植えられている松は約百万本。約四百年前、唐津初代藩主寺沢志摩守広高が、防潮保安林として造林させてからのもので「二里の松原」と呼ばれ、今なお美しい姿形を変えないで残っているのは、唐津っ子の愛情にもよりますが、その源は、志摩守広高が「この数万株の松の中に、余が特に愛している松が七本ある。もしこれを傷つけたものは死罪に処す。」というおふれを出したところ、この禁令を破るものがあったとき、志摩守広高は「これは余が愛する松ではない」と許したことから、この厚情に感謝して、以後誰も傷つけるものが出なくなったということです。
  

名護屋城跡地。
文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)に際し、名護屋の地に集結した全国の諸大名は、120名以上にのぼります。
彼らは名護屋城を中心とした半径約3km以内に点在する丘陵に陣屋を築いています。
名護屋城博物館は月曜が休館なんですが「北海道からきました」って説明したら団体の見学があったようで
特別に中に入れて下さいました。しかも無料でとても感じのよい職員の方が対応してくれました
豊臣秀吉が文禄・慶長の役に際し、その出兵拠点として築いた城です。
築城は1591(天正19)年後半に始まり、諸大名による割普請によってわずか数ヶ月で完成したといわれています。面積は約17f。当時では、大坂城に次ぐ規模であり、金箔を施した豪華な天守閣は、まさに天下人の城であったことを表しています。現在でも立派な石垣が残り、当時の面影を伝えています。また、周辺には諸大名の陣跡が120箇所以上も点在しており、その中には、徳川家康・前田利家・伊達政宗など歴史上著名な大名もみることができます

徳川家康は遠い距離のところにありました。

名護屋城跡地
名護屋城博物館

                     

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