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(2008年1月21日〜22日)

静岡県伊豆の旅 修善寺
修善寺の虹の郷 にある夏目漱石記念館に行きたかったのだが、リニュアル中で休館。
とっても残念です。

説明はhttp://www.shuzenji.jp/kankou/meisho/meisho.htmより引用させてもらいました。

修禅寺
修禅寺
平安初期に弘法大師が修禅寺を開基
鎌倉初期には、寺名を修禅寺というようになっており、
地名も寺領だったところから修禅寺と呼んでいる。
この時代には源範頼、頼家が幽閉され暗殺されるという源氏興亡の哀史の舞台となっている。
室町後期に至り、現在呼ばれているように、寺名を修禅寺、地名を修善寺と区別するようになった。
徳川初期には、金山奉行の大久保長安が瓜生野金山を開発し、慶長小判などの金が採掘された。

延徳元年(1489年)に韮山城主の北条早雲が外護者として再興し、
 叔父の隆溪繁紹(遠州石雲院)が住して曹洞宗に改宗され山号も福地山と改められ今日に至っている。
源頼家の墓
源頼家の墓
頼家は正治元年(1199年)に、父頼朝の死により家督を継いで、鎌倉二代将軍となった。
しかし家督を継いで間もなく、北条氏など元老の干渉も多く老臣会議制を敷かれて独裁を封じられた。

北条氏に対抗して頼家は、源氏の実権の回復に努め、能員と組んで北条氏を討とうとしたが、
 かえって能員と一幡は殺され、頼家は修禅寺に幽閉されてしまった。
そして翌年の元久元年(1204年)に時政の密計により、
修禅寺門前の虎溪橋際にある箱湯で暗殺された。
このとき頼家は23歳という若さであった。
指月殿 指月殿(一切経堂)
修善寺温泉で暗殺された源頼家の冥福を祈って、母政子が指月殿、宋版大蔵経、釈迦三尊繍仏などを修禅寺に寄進したものである。 

指月とは経典を意味し、禅家が愛用している不立文字を解く言葉である。

 終わりに「為征夷大将軍左金吾督源頼家菩提、尼置之」という政子の墨書がある。(修禅寺宝物館蔵)
独鈷の湯
周囲を山々に囲まれた温泉街の中央を流れる桂川には、修善寺温泉場のシンボル「独鈷の湯」
指月殿
丈六釈迦如来像
持物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っているのが
特徴である。

天城・湯ヶ島
川端康成の「伊豆の踊り子」の天城超えも浄蓮の滝もすべて雪で封鎖されました。
バスで一気に向かうとバスの運転手に「天城の雪を甘くみてはいけない」と叱られた。
北海道の雪とは違って水分を含んでいるし、すぐに事故などで道路が通行止めになるらしい。
私はただ天城の山々を見ていた。
メモをしてきた文学碑や旧天城トンネルにも行けなかった。

『しろばんば』のブロンズ像
静岡県伊豆市立湯ヶ島小学校玄関前に
設置された『しろばんば』のブロンズ像

井上靖は多感な子供時代を天城湯ケ島で過ごしました。
その頃の思い出を描いた自伝的小説が名作「しろばんば」
井上靖
地球上で一番清らかな広場。北に向って整列すると遠くに富士が見える。廻れ右すると天城が見える。富士は父、天城は母。
父と母がみてる校庭でボールを投げる。
誰よりも高く、美しく真直ぐに、天まで届けとボールを投げる。
井上靖文学碑
静岡県伊豆市立湯ヶ島小学校
その頃の、と言っても大正四、五年のことで、今から四十数年前のことだが、夕方になると、決まって村の子供たちは口々に ゛しろばんば、しろばんば゛と叫びながら、家の前の街道をあっちに走ったり、こっちに走ったりしながら夕闇のたちこめ始めた空間を綿屑でも舞っているように浮遊している白い小さな生きものを追いかけて遊んだ。
素手でそれを掴み取ろうとして飛び上がったり、ひばの小枝を折ったものを手にして、その葉にしろばんばを引っかけようとして、その小枝を空中に振り廻したりした。

しろばんばというのは、゛白い老婆゛ということなのであろう。子供達はそれがどこからやって来るか知らなかったが、夕方になると、その白い虫がどこからともなく現れて来ることを、さして不審にもおもっていなかった。(井上 靖著 「しろばんば」 冒頭より)
旧井上靖邸
昭和の森文学館の「旧井上靖邸」
井上靖
新しい年
元日の教室で先生は黒板に’新しい年’と書いた。
中略
それ以後、再び新しい年はやってこない。幼い日の湯ヶ島小学校の教室の記憶が、年毎に遠く、小さく、ゴッポの初期のパステル画のように鮮烈になっていくだけだ。(井上清)
井上靖が暮らした土蔵(昭和の森文学館) 井上靖が暮らした土蔵
若き日のノーベル賞作家・川端康成は、ここ天城に旅した時の体験から名作「伊豆の踊子」を著し、以降もことあるごとにこの出湯の里に長逗留し、友人作家たちの交流を楽しみました


静岡県伊豆市立湯ヶ島小学校

無断で撮った来た、井上靖と母、やゑさんと。
昭和46年春、湯ヶ島の実家の庭で。


今は亡き親友
川村由美枝ちゃんと行きました。
大事な友人をガンで失ってしまいました
お地蔵様にも手を合わせていた友の姿が浮かびます

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