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世界遺産 石見銀山

平成18年11月13日 娘に連れていってもらいました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E8%A6%8B%E9%8A%80%E5%B1%B1より引用させてもらました。

石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて
最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。

石見銀山の発見について
『石見銀山旧記』は鎌倉時代末期の1309年(延慶2年)に周防の大内弘幸が石見に来訪して北斗妙見大菩薩(北極星)の
託宣により銀を発見したという伝説について記しており、
この頃からある程度の露天掘りがなされていたと考えられている

1533年(天文2年)8月、神谷寿貞は博多から宗丹と桂寿を招き
海外渡来の銀精錬技術である灰吹法により精錬された。
この技術でより効率的に銀を得られるようになり、全国の鉱山に伝えられ、日本における銀産出に大きな貢献をすることになる。
灰吹法確立以前は、鞆ヶ浦(仁摩町馬路)・沖泊(温泉津町)から鉱石のまま積み出され博多湊などで取引された。
灰吹法が広まることにより、酸化鉛の粉塵を吸い込んだ作業員は急性または慢性の鉛中毒を発症した。
鉱山での劣悪な環境も相まって、当時の鉱夫は短命であり、30歳まで生きられた鉱夫は尾頭付きの鯛と赤飯で長寿の祝いをしたほどであった。
大森地内には若くして死んだ鉱夫たちの慰霊を目的として各宗派の寺院が多数建てられ、
鉱夫たちの家族構成はその多くが独身もしくは夫婦のみであったと伝えられている。

     

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