これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関
逢坂峠〜土山〜彦根城の旅 (2002年5月)→2013年12月23日更新
★ 逢坂峠 .これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関 (蝉丸) この峠を超えていろんな出会いと別れがあった。 多くの歌に読まれ、多くの喜怒哀楽が時代を 超えてその場所は存在していましたが 交通量は激しくて一瞬のうちに通りすぎました。 旅の要所だったその場所が時代と共に変貌していた。 (画像はひろ様からお借りしました) 2013年、11月 |
★ 土山。
私は「内田康夫」の本がとても好きです。
思うように旅にでれない私だったから、本の中で紹介される史実と地理にわくわくさせながら、
本の中で旅をしていました。[皇女の霊柩]の本で始めて知った土山。
「幽玄な雰囲気でぞくぞくとする」とは、作者のコメントである
帝の名代として伊勢神宮に仕えた女たちの生涯は、儚い哀しみの歴史に包まれている
この土山は「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」
この馬子唄で知られる鈴鹿峠は、箱根と並ぶ東海道の難所。
この山麓で土山町は東海道五十三次49番目の宿場町として栄えました
●垂水頓宮跡(たるみとんぐうあと) |
彦根の旅
戦国時代になって絶えず戦場となっていたが、豊臣時代に石田三成が佐和山城主となってから町は次第に繁栄し、
その後、関ヶ原の戦功で井伊直政が彦根の地に封ぜられ、その子直孝が彦根城を築城してから
城下町として発展、産業、政治、文化の中心地として300年間栄えた。
城下町らしい古い 町並みを歩いていると時が静かに流れ、 このまま住みついていたくなりました。 同じ人生をおくるなら静かにこのまま暮らしたい あくせくと何かに追われるように生きるのではなく、 限りある時間を楽しみたい。そんな生き方に憧れます。 処か故郷に似ている。そんな彦根の町並みでした。 小さな子供のときの私がそこに存在するような心の安らぎを感じていました 城下町を歩いたときはいつも思う。 朝夕、お城を仰ぎながら生活をしてみたいと。 しかも雪の降らない町で自然に拘束されない日々の生活の営みは どんな感慨を持って暮らしているのかと。 風景が見なれたものとなり 日常の喧騒の中で忘れたとしても 自分の故郷がそこにあり、それは誉れでもあるのではないかと。 こんな小さな私が世の中から消えても悠久の時間の中で 確かに息ずいて語りついていくのかと思うと嫉妬さえも覚えた。 |
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井伊直弼が不遇の青年時代を過ごした。 |