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2013年12月22日

白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる。独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定
1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された

白川郷
岐阜県大野郡白川村荻町

野麦峠は、岐阜県高山市と長野県松本市の県境に位置し、飛騨国と信濃国を結ぶ
鎌倉街道・江戸街道と呼ばれる街道の峠。
乗鞍岳と鎌ヶ峰の間にあり、標高1,672m。長野県道・岐阜県道39号
奈川野麦高根線が通っている。
古来から野麦街道があり、能登で取れたブリを飛騨を経由して信州へと運ぶ道筋であった。
信州では飛騨ブリとして珍重され、能登では1尾の値段が米1斗であるものが、
峠を越えると米1俵になると言われた。
明治の初めから大正にかけて、当時の主力輸出産業であった生糸工業で
発展していた諏訪地方の岡谷へ、
飛騨の女性(多くは10代の少女)が女工として働くためにこの峠を越えた。
この史実は1968年に発表された山本茂実(やまもと・しげみ)のノンフィクション
『あゝ野麦峠』で全国的に有名になった。
白川郷
荘川のであい橋

神田家見どころベスト10(1階より順に)1.玄関石畳 2.最大赤松の梁 3.大黒柱 
4.根曲がりの梁 5.火見窓 
6.駒尻 7.筋交わい 8.通し貫き 9.縄い針 10.煙抜き窓 
昔の人の知恵と工夫と技術に合掌(感謝)です。
白川郷

大垣城
大垣城は、岐阜県大垣市郭町にあった平城。麋城(びじょう)または巨鹿城(きょろくじょう)とも呼ばれる。
宮川氏築城当時は、牛屋川を外堀の代わりに利用し本丸と二ノ丸のみであったという。氏家氏、伊藤氏によって改築が加えられたとされ、
1613年(慶長18年)には石川忠親によって総堀が加えられ、松平忠良が天守を改修した。
その後1649年(慶安2年)に 戸田氏鉄によって明治に至る姿とされた。

 大垣城
大垣城
大垣城
大垣城


大垣市
奥の細道むすびの地記念館
徳川幕府が繁栄を極めた元禄時代に、俳人・松尾芭蕉は約5か月をかけて全行程約2400キロメートルを旅し、大垣市で「奥の細道」紀行を終えました。

奥の細道むすびの地
平成24年4月8日にオープン
奥の細道むすびの地
芭蕉は木因と旧交を温めたのち、伊勢神宮参拝のため、ここから舟に乗り、水門川を下っていった。
奥の細道むすびの地 奥の細道むすびの地
芭蕉送別蓮歌塚
蛤のふたみへ別秋そ 芭蕉
奥の細道むすびの地
奥の細道むすびの地 奥の細道むすびの地


奥の細道むすびの地惜しむ髭そりたり窓に夏木立(本因)

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